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2022-08-21

Letter 35 初めての外国 僕のマイアミ滞在記 2

次の日から僕たち鹿児島からやって来たメンバーは、地元の中学校に行って現地の子どもたちと同じ授業に参加させてもらう。小さなドーナツのような形をしたシリアルに牛乳をかけたものを食べた後、家族が車で僕を学校まで送り届けてくれる。
僕たちが訪問した学校の印象はとても明るい。キャンバスには芝生が植えてあり、白く塗られている壁の一角にはペンキで虹が描かれている。子どもたちがとにかく元気で、教室にはエネルギーが満ちている。いろんな肌の色をした子がいる。アフリカ系の子がいて、中国系の子がいて、白人の子がいて、ヒスパニック系の子がいて、インド系の子がいる。僕が座っている席に子どもたちが群がり、笑いながら話しかけてくる。みな矢継ぎ早に何かを話し、僕は彼らが何を話しているのか全部はわからないけれど、笑顔でやりとりをする。僕は鹿児島から持ってきたガムやキャンディを彼らにあげ、彼らはミニカーや動物のおもちゃ、カードを僕にくれる(彼らは日本の学年でいうと、小学生で高学年の子どもたちだったのだと思う)。
初日にはアートの授業があり、街にあるものを色紙などを使って作るという内容で、グループに分かれて作業する。僕は鹿児島から持ってきた千代紙をリュックから取り出し、それを使ってグループの子たちと教会を作る。その後作ったものをグループごとに発表する。授業の後はクラスの子たちといっしょにカフェテリアに行き、並んで座りながらピザやラザニアやサラダのランチを食べる。
この学校では授業中におやつやアイスキャンディが配られることがあった。制服はなく、みんな思い思いの格好をしていて、ピアスやネックレスなどのアクセサリーを身につけている子もいる。こういうことは、前年このプログラムに参加したメンバーから体験談を聞いていたのでそれほど驚きはしなかったけれど、本当にそうなんだと現地で確認できた。

見知らぬ環境に飛び込むというのは、最初の新鮮さが過ぎ去ればその後は意外にあっさりしたものだ。その環境が現実になり、現実にはすぐに慣れてしまう。僕たちはこの学校で4日間授業に参加した。そのうちの1日はフィールドトリップで、ボウリング場に行ってゲームした。とにかく外国に、アメリカに行きたいという思いがあって、その最初の願いは達成された。思い描いたことが現実になっている。僕はいま現地の学校にいて、目の前にはアメリカの子どもたちがいる。興奮が落ち着いた後、思ったよりも冷静な自分がそこにいることを僕は発見する。「醒めている」と言ってもいいかもしれない。一度にたくさんの刺激にさらされて疲れたのか。周りの人たちといる時、ずっと笑顔でいなきゃいけない(と思っている)ことにも疲れたのかもしれない。そして、せっかくアメリカに来たのだから、楽しんでいなきゃいけない、退屈していたらもったいない、それは誰かに対して(誰かはわからないけれど)申し訳ない、そんな意識が僕の中にあった。
みんなでボウリング場に行った日、そこにあったゲームセンターで遊んでいたときのことを、僕は日記にこう書いている。「みんな本当に楽しそうだから、自分も楽しくやろう!と思ったけれど難しくて、結局あまり楽しくなかったけど・・・。でもそこで気付いたことは、自分らしく、ありのままの自分を出すのも必要かなぁ・・・って、そう思った。自然体が一番なのかも。」
そのときの僕は「ありのままの自分」は出せない、出す必要がない、もしくは出してはいけないと思っていたんだ。自分が書いたものを読んでそのことがわかる。どうしてそういう風に感じるようになったのだろうと、僕は過去を振り返ってみる。いま考えれば、これは滞在中に自分の気持ちやあり方について感じ、考えた第一歩だった。

滞在中はいろんな出会いの連続だったが、こんな出会いもあった。そのとき僕はある空間にいて、そこにあったテレビを見ていた。チャンネルを切り替えていたら、他のものとは違うチャンネルがあった。最初は何が映っているのかよくわからなかった。でも次第に、それがどういう種類のものなのか理解した。それは大人が見るものだった。近くに人がいたので僕はすぐにチャンネルを切り替えたが、そこにはそういう種類のチャンネルがあることを知る。
次にその空間で一人になったとき、僕はテレビをつけて見るともなく見ていた。チャンネルを切り替えていくと、この前と同じチャンネルに行き着いた。目を離しようにも、離せない。僕はしばらくただそれを見ていた。1分だったか、2分だったか。向こうから誰かがやって来る音がして、僕は慌ててテレビを消した。誰かに見られてはいけないものだと思ったから。一瞬の出来事だったけど、その時の状況や、画面越しに見たものの印象はいまも記憶に残っている。
ちょうど、身体がダイナミックに変化していく年頃だった。その変化に戸惑いを覚えつつも、僕は変わっていく自分の身体に興味をもった。
ホストファミリーの家では自分の部屋を与えてもらったけれど、初めての海外、初めてのホームステイで、その環境の中で完全にはくつろげなかった。滞在中、僕にとっていちばんプライベートだった時間は、たぶんバスルームでシャワーを浴びているときだったと思う。カーテンを閉め、バスタブの外を濡らさないように気をつけながらシャワーを浴びる。コミュニケーションといえば周りの人たちにただ笑顔を向けることしか知らなかった僕は、シャワーを浴びているときは身も心も裸になることができた。

自分自身と他者とのコミュニケーションがうまくいくことばかりではなくても、心の底から笑った瞬間だってたくさんあった。ホストファミリーと過ごす夕食の時間はいつも楽しいひとときだったが、特に印象に残っているディナーはMariaが作ってくれたキューバ料理を食べた日だ。チキンと米を鍋に入れ、そこにスパイスやビールを加えて炊く。食卓には、バナナをカットし潰して油で揚げたスナックのようなものと、サラダも並べられた。そのメインディッシュは初めて食べる料理だったが、お米の料理なので親しみを覚えたし味付けも美味しかった。“Very delicious!” と僕が伝えると、Mariaはとびっきりの笑顔を見せ、食後に作り方も教えてくれた。その夜、僕は部屋に戻りベッドに横になっていたらいつの間にか眠ってしまったようで、起きたときにはタオルケットがかけてあった。
リョウ、これ飲んでみて、と勧められた「マルタ」というキューバのドリンクを飲んでみた夜。「ううん・・・まぁまぁだね」と言った僕の顔を見てみんなが笑った。日本から持ってきたカレールウを使って僕がカレーライスを作りみんなに振る舞った夜もある。スーパーマーケットに連れて行ってもらって肉と野菜を買い、一人キッチンに立って料理した。みんな美味しいと言って食べてくれた。
「日本のテレビをやっているよ」と言われてDadとMomのベッドがある部屋に行くと、テレビでは相撲をやっている。“Oh, this is sumo!” と僕が言い、これはスモウというスポーツだということはみんなわかったけれど、その後ルールを訊かれ、僕はうまく説明できない。僕は日本のことでも、知らないことがたくさんあるなと実感する。

ホストファミリーと過ごす最後の一日、僕はマイアミをめいいっぱい見て回りたかった。特にマイアミビーチに行きたかった。鹿児島から来ている他のメンバーたちに学校で会うとみんなビーチに連れて行ってもらったと話していて、僕の家族も週末は海に連れて行ってくれるかなと期待していたが、僕がビーチの話をするとEstebanは、ビーチは暑くて危険だ、と言った。僕はそれ以上ビーチの話はせず、ビーチに行くことを諦めた。
結局、その日は11時頃起きて(前日の夜は総領事館でパーティーがあり、家に帰り着いたのは0時過ぎだった)、EstebanとSteveとAlexといっしょに近くのキューバ料理屋に行ってサンドイッチを食べた。その後ボウリング場に行ってみんなで2ゲームした。それから、先週訪れた近所のプールに行ってそこに集まった人たちとともに過ごした。これが僕の家族の休日の過ごし方だった。
Mariaは僕にマイアミのギフトを買ってきてくれた。イルカのオブジェがついた写真立てやベルのような形をした置物、マイアミの海をモチーフにした飾り、小さな星条旗、星条旗がプリントされた鉛筆。Estebanは僕にアメフトの帽子をくれた。彼がチームに所属していたときのものだそうだ。そしてある晩、大きな犬の縫いぐるみを家族が僕にプレゼントしてくれる。スクビドゥ、という名前なんだそうだ。背が僕の胸のところまであるその犬を連れて僕は鹿児島に戻ることになった。

出発の日の朝、ギフトを詰め込んで重くなったスーツケースとスクビドゥをトランクに積み込み、Estebanが運転する車で僕は空港へと向かう。家族も空港まで付き添ってくれる。みな口数は少ない。僕は窓の外で流れていく風景を眺める。EstebanとSteveと初めて会った日に見た景色とはずいぶん印象が違う。空は雲に覆われていて、風景がどことなくモノトーンに僕の目には映る。信号機の形やアルファベットの標識、道行く人、ゆるやかにカーブしながら交差していく巨大なハイウェイを目にとめながら、マイアミに降り立ったときからいままでに起こった出来事を僕は頭に思い描く。僕はさびしいのだろうか。涙は出てこない。鹿児島に戻ったら報告集に、またいつかきっとマイアミに戻ってくる、と書くと思う。マイアミを離れようとしているいま、その思いは僕の心につよくある。でも、言葉にならないこの気持ちは、いま目に映るこのモノトーンな景色と重なっている。いろんな気持ちがないまぜになっていて、ちょっと放心状態に近い。滞在中いろんなことがあり、いろんな人たちが現れ、その人たちに出会う度に僕は笑顔を向け、自分の感情をたしかめる間も無く次の場面が来た。とりあえずいまはその場面の中でなんとかやっていくことしかできないし、それで精一杯だ。
空港で、Estebanが僕をハグしてくれる。Mariaは “my Japanese boy” と言って抱きしめてくれる。Steveとハグし、ありがとう、また会おうねと僕は言う。僕はみんなに手を振り、鹿児島のメンバーとともに搭乗ゲートへと歩いていく。そして、僕たちを乗せた飛行機はマイアミの土地を離陸する。「さようなら、ありがとう。またね」と心の中で僕は言う。

日本に向かう飛行機の中。窓の外は明るく、青い空の向こうから陽の光が差し込んでくる。メンバーの一人がCDプレーヤーを僕に貸してくれる。「僚くん、これ聴いてみて。」イヤフォンを耳に差し込み、再生ボタンを押すと、流れてきたのはBack Street Boysの “I Want It That Way” 。
あたらしい音がする。それまでに聴いたことのない響きが、とてもクリアに僕のなかに入ってくる。僕はそこに未来を予感する。とても明るく、どこまでも広がっていくようなイメージだ。その中で僕は力づけられる。よし、このまま歩いていこう、どこまでも歩いていこう、というような心持ちになって僕は目を閉じる。ちょっとだけ過去のまだ鮮明な記憶と、大きく膨らんでいく期待を孕んだ未来とに挟まれながら、空の上で僕は束の間の眠りに落ちる。