Letter 34 初めての外国 僕のマイアミ滞在記 1
初めて外国に行ってから20年の歳月が過ぎた。
この20年は自分にとってどんな時間だっただろう?
言葉を自分のものにした。
自分自身とつながった。
書くとすごくあっさりとしていて、なんだそんなことか、とも思ってしまうけれど、これまでの歳月は、ほとんどこのことのためにあったとさえ思う。
僕が最初に外国に行ったとき、それが外国であるがゆえに、コミュニケーションについてふだんは考えないようなことを意識させられた。言葉がかんたんには通じないから。そして、自分が育ってきた環境や文化が、相手のそれと異なるから。
でも、それはコミュニケーションにとってはあくまで二次的なことだ。ほんとうの意味で相手と通じあうには、まず自分自身とつながっていなければならない。自分はいま何を感じているか、何を思うか、それをすくい取り、言葉にする。まずはそのことに全力を注ぐ。相手に伝わるか、どう伝わるかはその後のこと・・・。
ほんとうにコミュニケートするってどういうことだろう? その後、突きつけられるたくさんの問い。入り組んだ迷路のような、でも人生において避けては通れない道。その長い道程の入口に僕は立っていた。
僕にとっての初めての外国はアメリカだった。フロリダ州マイアミ。
小学生の頃、鹿児島市の姉妹都市であるマイアミに中学生を派遣するというプログラムがあることを知り、子どもの頃からずっと外国に行きたいと思っていた僕は、中学生になったら応募しようと決めていた。中学2年の時に応募し、作文と面接を経て、担当の教師から「選ばれたよ」と聞いたときには文字通り飛び上がって喜んだ。初めて外国に行けることへの興奮と、未知の体験を前にした不安とで胸がいっぱいになり、でも出発前は荷物の準備や買い物などで忙しく、気づけば出発の日の朝を迎えていた。
その日は2002年7月19日。いっしょにマイアミに行くことになった9人の中学生と、引率者として同行してくれた市の職員とともに僕は鹿児島空港を飛び立った。
成田から、経由地のアトランタへ向かう。空港で手渡されたDELTA航空のチケットを大事にポーチにしまう。これから14時間のフライト。飛行機に乗るのは初めてじゃないけれど、こんなに大きな機体に乗るのは初めて。ドリンクサービスが回ってくる時、コーラはcoke(コゥク)と言うのだとこのときに知る。チキンにしますか、フィッシュにしますか、と訊かれ、目の前に置かれる機内食の淡白な味。トイレを流す際のバキュームの音がこわい。僕は窓際の席だったから雲の上の景色がよく見えた。夕暮れどき、オレンジが藍に染まっていく神秘的な空の色を飽きもせず眺める。
次に窓のカバーを開けたとき、眼下に見えたのはどこまでも続く平坦な緑色の土地。アメリカ大陸の上空に入ったことを知る。広大な土地の上にいくつもの円形が見える。農場のようだが、日本とは土地のサイズや景観がずいぶん違う。
アトランタの空港に降り立ったとき、周りの音と匂いが異質であることを感じる。いままで触れたことのない空気だ。これはコーヒーの匂いだろうか。ファストフードの匂いも混じっているように思う。身体の大きな保安官が話す英語。アルファベットが並ぶ標識と、聞き取れない場内アナウンス。自販機に並んだカラフルな飲料。自分がいま異国にいることを身体全体で理解する。財布の中に用意してきたドル紙幣と硬貨を自販機に入れてミネラルウォーターを買う。
再び飛行機に乗り込み、マイアミへ。窓から見える景色は、今度は湿地帯だった。初めて見る風景、それが移ろうていくのを眺めているのは、いくら見ていても飽きることがない。
マイアミの空港に降り立ったのは夜。建物の外に出ると、湿気を多く含んだもわっとした空気に包まれる。マイクロバスに乗ってみんなでホテルに向かう。ひとつの部屋に集まり、みんなでピザとコーラの食事をする。そのピザの大きかったことと、無事にマイアミに到着したことに安堵し、緊張が解けてメンバー同士で笑いながら喋った記憶の後はもう翌朝になっている。
この日、ホテルの朝食会場でホストファミリーと対面することになっている。僕のホストファミリーはどんな人たちなんだろう? これから9日間、ホストファミリーの家に滞在しながらいっしょに生活するのだ。
会場に向かう前、鏡の前に立ちヘアワックスをつける。日本から持ってきたリンゴの香りのようなワックス。鹿児島を出発する前に学校で担任の先生が僕に手渡してくれたメッセージを、もう一度読み返す。
「失敗をおそれず、自分の言いたいことはちゃんと相手に伝える努力をしよう!コミュニケーションはまず “心から” だよ。」ホームステイ中、度々読み返した言葉だ。
会場に着くとホストファミリーたちが待っている。アルファベットで僕の名前が書かれたカードを持っている人を見つける。背が高くがっしりした体型の男性。僕はその人のところへ近づいていく。彼がホストファザーのEstebanで、その隣には彼の息子のSteveがいた。僕は滞在中に書いていたノートに「話しやすいと思われるようにたくさん積極的に話そうと決めた」と書いている。
僕は緊張しながら挨拶のフレーズを発した。“Nice to meet you, I’m Ryo.” Estebanは笑顔で僕の挨拶に答え、僕たちは握手をした。Steveとも笑顔を交わしたが、僕と同じように緊張しているようで、あまり多く話さなかった。僕よりも2歳下ということだった。僕たちはいっしょに朝食をとった後、他のメンバーたちと別れ、自分のホストファミリーとともにマイアミ市内にあるそれぞれの家へと向かった。
車の窓から街の景色を目で追う。道路の脇にはヤシの木や色とりどりの花が生い茂っている。雨が降った後で路面は濡れていて、照りつける太陽に水蒸気が立ちのぼっている。気候は鹿児島と似ているなと思う。住宅はほとんどが1階建てのフラットな造り。
“We came from Cuba.” 車を運転しながらEstebanは僕に話しかける。最初、彼が何と言っているのかわからなくて僕は訊き返す。“Please say it again?” 彼はゆっくりと同じ言葉を繰り返す。キューバから来た、彼がそう言っているのを理解する。そういえば、彼の話す英語は学校で聞いている英語とは少し違う響きだ。「キューバでは何語を話すんですか」と訊きたかったが、「言語」を英語で何というのかわからなかったので “What word do you speak in Cuba?” と訊いてみる。すると僕の質問の意が通じたのか “We speak Spanish in Cuba.” という返答がある。“We came to America because Cuba’s politics is bad.” Estebanの英語を僕が理解できずにいると、Steveがもう一度ゆっくりと話してくれる。やりとりの中で、キューバは政治がよくないからアメリカに来た、と彼が言っていることを理解する。“Oh, I see.” 僕はうなずいて、“So, America is good?” と訊いてみる。Estebanは大きくうなずいた。“Yeah, America is good.”
車は一軒の家の前で止まる。白い壁が眩しい建物の前のスペースには芝生が植えてあり、門から入って左手にバスケットボールのゴールがある。家の中に入ると、石鹸のような香りがつんと鼻をつく。奥からワンワン吠えながら、小さな茶色の犬が白いタイルの上を駆けてくる。頭を撫でると尻尾を振って、また奥へと走っていく。家にはホストマザーのMaria、ホストシスターのYeseniaがいた。Mariaは笑顔で僕を迎え入れてくれた。“Hi, nice to meet you. Welcome to our house.” 僕のためにゆっくり話してくれているのがわかる。「あなたの名前、なんて読むの?リオでいいのかしら?」僕は自分の名前を何度も発音して見せたが、「りょう」という音は英語にはなく発音しづらいようで、どうしてもリヨゥというような発音になり、僕は笑ってオーケイ、と言った。
彼女が家の中を案内してくれた。あなたはここの部屋を使ってね、と案内してくれた部屋はふだんはSteveが使っている部屋で、ベッドと本棚があり、棚にはカセットデッキやアメフトのヘルメットが置いてある。隣の部屋はバスルームで、トイレと浴室と洗面所が同じスペースにある。冷蔵庫にはオレンジジュースや牛乳がタンクのような大きな容器に入っている。大きなボトルに入ったソーダもある。いつでも自由に好きなものを飲んでいいわよ、何にする?と訊かれ、僕は “Orange, please.” と答える。彼女はグラスを手に取り、冷蔵庫の扉の表面についているボタンのようなものに押し当てると上から氷のブロックが落ちてきた。そこにオレンジジュースを注いで僕に手渡してくれる。
Yeseniaの部屋は僕の部屋の向かいにあった。僕よりも1つか2つ歳上の女の子だった。たったそれだけしか歳が違わないのに、身体つきも雰囲気もずいぶんと大人びて見える。Yeseniaの部屋にはくまのプーさんのぬいぐるみがたくさん置いてあって、彼女はほとんど自分の部屋で過ごしていたのであまり話す機会がなかった。それからSteveの友人のAlexという男の子もいて、家族のように家を出入りしていた。彼も2、3歳年長なだけなのに、顎には髭が生えていて大人びた顔立ちだ。いつもSteveと冗談を言っては笑っている愉快な青年。
とても陽気な家族でみな仲がよい。そして、この家族は家ではほとんどスペイン語で会話する。僕は英語もままならず、英語でうまくやりとりできるかと不安な気持ちでいたのに、目の前ではスペイン語が飛び交っているのだから面食らってしまう。ホストファミリーから最初に教わった言葉は英語ではなく、スペイン語でのこんにちは、さようなら、ありがとう、だ。
僕は、ホームステイをしているあいだ始終笑顔でいた。みんなに気に入られたかったし、フレンドリーな人間と思われたかった。でも、やりとりがわからないのにずっと笑顔でいるのはしんどかった。これからちゃんとやっていけるかな、と不安にもなったし、家族みんなが笑っているときに自分だけがそこに立ち入れないと感じるときは寂しさも覚えた。でも僕はそういう気持ちをなるべく見ないようにして、楽しいことや、明るいことだけを思おうと努めた。自分の気持ちを確認し、その気持ちに寄り添ってあげることも、どんな気持ちを抱いてもOKだって自分に言ってあげることも、ましてや自分の感情を表現する術も、そのときの僕は知らなかったから。
午後からは家族みんなで車に乗ってダウンタウンまで行き、ショッピングモールに入って過ごした。ぶらぶらとモールの中を歩いた後、僕たちはフロアの一角にあるCDショップに立ち寄った。店のあちこちからいろんな音が鳴っていて、設置された小型スクリーンには映像が流れている。Estebanが、どれか1つ欲しいCDを買ってあげるよ、と言った。僕は広いフロアを歩いてみたけれど、どのCDが欲しいのかわからなかった。海外のミュージシャンをよく知らなかったし、自分がどんな音楽が好きなのかもまだよくわからなかった。僕はフロアをひととおり歩いて、Britney Spearsのアルバムを手に取った。最近発売された彼女のアルバムで、僕はブリトニースピアーズという名前は知っていた。これにする、と言って僕はCDをEstebanに手渡す。彼はOKと言って、自分のCDといっしょに支払いをしてくれる。彼はNellyというラッパーのCDを買っていた。
その後、僕たちはモールの中にあるシネマ・コンプレックスに入って映画を観た。でも映画が始まるやいなや、僕は時差のせいで睡魔に襲われ、映画の内容はほとんど覚えていない。映画館を出た後もEstebanは僕を連れて友人の家を転々とし、僕は出会う人たちみんなに自己紹介するも、その後はカウンターに座ってうつらうつらしながら眠気と闘っていた。
次の日は昼前にみんなで近所の家へと出掛けて行き、その家の庭にあるプールで一日を過ごした。個人宅のプールにしてはとても大きく、立派な造りだった。マイアミではこれが当たり前なのだろうか。そこに近所の人たちが集まってくる。Yeseniaはビキニの水着を着て、他の女の子たちといっしょにはしゃいだり、タンクトップを着てキャップをかぶったお兄さんたちと話したりしている。シャツを脱いだEstebanは右腕に大きなタトゥを入れている。Mariaも水着になってプールに入り、集まった仲間たちとの会話を楽しんだり、涼んだりしている。僕はSteveとAlexと過ごし、集まってきた近所の子どもたちといっしょになってプールに入ったり、テーブルに並べられたスナックを食べたりしながら過ごした。そこで食べたスナックは初めて食べる味で、トルティーヤというパリッと堅い生地に、刻んだトマトやスパイスが入った具を自分でトッピングして食べるというものだった。具の中に入っていた不思議な味がするものの正体はパクチーだったのだと、僕はずっと後になってから知った。
そこに集まっていた大人たちはみな陽気な人たちで、僕をあたたかい雰囲気で迎え入れてくれた。人種もアフリカ系、ラテン系、アジア系と様々で、でもそれが当たり前、というような空気感があり、みんなとてもリラックスしている。
ディスクテーブルに立っている黒人の男の人が「ヘイ、こっちに来てみなよ」と僕を呼び、ディスクを触らせてくれる。そして今度は、マイクで何か喋ってみなよ、と言う。僕は人前に出て何かをするとき緊張してしまう性格だけど、とにかく何かやってみようと自分で自分を前に押し出してマイクに向かって話した。“Hola! I’m Ryo. I’m from Japan. Nice to see you.” 歓声が上がり、「コンニチハ」「アリガトウ」などと知っている日本語を叫ぶ人もいた。Mariaが僕の姿を写真に撮ってくれている。僕は照れながら笑顔を彼女に向ける。
EstebanがNellyのCDをかけると、みんな曲に合わせて踊り始める。大人たちはとても自然に、楽しそうにダンスする。子どもたちはその様子を見ている。ほら、君も踊ってみなと、Estebanは僕をダンススペースへと連れて行く。僕は見よう見まねで踊ってみる。もちろん恥ずかしさもあるが、少し自分を解放できた感覚があって、僕はこんなこともできるんだな、と自分で思う。僕のところにビキニを着た女の子がやってきて、いっしょに踊ってくれる。彼女はとても慣れたようにステップを踏み、とても自然に音楽にのって身体を揺らしている。彼女は僕をエスコートする。周りの人たちの歓声や冷やかしの声が聞こえてくる。何度も繰り返しプレイされていた曲は ‘Hot In Herre’ という曲で、いまでもその曲を聞くと、僕はこの日のプールパーティを思い出す。
木陰に置いてあるデッキチェアで休憩する。隣にはSteveがいて、通り過ぎる人たちが “hi” と挨拶してくれる。僕はそこに座りながら何人かの人たちと話をした。僕が知っている言葉は少なかったので、ジェスチャーを使いながら言いたいことを伝えようとする。みんな僕が言おうとしていることを辛抱強く理解しようとしてくれていることがわかる。そこにいる人たちとの会話の中で、マイアミで生まれ育った人は少なく、みな別の国から移住してきたらしいことがわかった。ある人はアルゼンチンから来た、と言った。僕のホストファミリーのようにキューバから来た人たちもいた。彼らもEstebanが言っていたように、政治がわるくてアメリカに来た、と話していた。僕はキューバがどんな国なのか知らなかった。
一人、タンクトップを着たおじさんが話しかけてくる。髪をオールバックにしていて、彼もとても陽気でフレンドリーだった。その人が去った後で、Steveが “He is gay.”と言った。僕は ‘gay’ が何を意味するのかも知らなかった。ただ、彼が作ったという魚のスープが美味しかったことと、彼の話し方や佇まいがとても柔らかい印象だったことを記憶している。僕はその日、いろんな人や物事にただただ出会い続けていた。