Letter 33 何でもない日
何でもない日の、何者でもない自分が、
いちばん風を通す気がする。
今日は朝から曇り空。
昼過ぎ、車に乗って海沿いの町へ行く。
開けた窓から風が入ってくる。
カーステレオから流れるピアノの音が、過ぎゆく緑の景色に馴染んでいく。
ハンドルを切りながら道を走っていくこの時間、
僕は何も考えていない。
束の間、空白の時間が降りてくる。
ドライブインに車を停め、カレーを食べる。
コーヒーを飲む。
これで目的のひとつは達成。
もう一つの用事を済ませ、スーパーで食材を買い込み、
さてこれからどこへ行こう。
海が見たい。
いま住んでいるところは山に囲まれていて、
近くに海がない。
生まれ育った町は近くに海があったから、
海の風景には馴染みがあって、時々触れたくなる。
ここは港町。
すぐ近くに海が見える場所があるはず。
スーパーの駐車場でスマホのマップを開き、
近くにある海沿いの公園に車を停めることにする。
松林と、広い芝生の敷地。競技場。
そこにいかにも古そうな体育館や、アパートのような集合住宅の建物が立っている。
その脇の細道を歩きながら、海を目指す。
道路の向こう側に、
巨大な倉庫や建物が並んでいる。
今日は、何でもない日だな。
何でもない日に、こんな場所にいて、
何も持たず、
先に何か約束があるわけでもなく、
ただこうして歩いていると、
自分がとても不安定で覚束ない存在に思えてくる。
自分が何者でもなく、空っぽになるのを感じる。
こんなんでいいのかな。
もっと、しっかりとした道を、
しっかりと歩いていないといけないんじゃないか。
そう思考するのだが、
海を向いた心はことのほかまっすぐ前を見つめていて、
足はよろめいてはいない。
むしろ、自由であるということに
足取りは軽い。
いや、もうこういう風にしか歩けないんだから、
それでいいんじゃない。
そういう諦めにも似た気持ちが膨らんで、
ただもう前を見て淡々と歩かせる。
横断歩道を渡り、着いたところは倉庫の脇。
塀が高くてここから海は見えないが、
右手の方に埠頭が見える。
方向を変えてそちらの方へ歩いていく。
車でスマートに行くも、遠回りしながら歩いて行くも、
目指す場所は同じ。
そこに行きたいと思えば心はそこへ向かってる。
これはむかし、ボートを漕ぎながら思ったこと。
はじめは漕ぎ方がわからなくても、
ちゃんと行きたい方向へ進んでる。
埠頭に着いて、
そこから風に揺れる水面と、
木材の塊が積まれた港と、
停泊している船が見えた。
釣りをしている人や、
ブロックに腰掛けて話している人たちや、
大人たちの周りで話している子どもたちがいた。
僕は堤防の杭の上に腰掛け、
海の景色を見るともなく眺めた。
海の向こうから吹いてくる風が
僕が着ているシャツを揺らした。
これまで生きてきた時間の中で、
こんな風に、
いくつもの何でもない日を僕は過ごしてきた。
何でもない日だけど、
世界はたしかに動いていて、
僕の日常も動いていて、
あれこれ思ったり、
悩みではないが、気になっていることがあったり、
昨日あったことと、
明日やろうとしていることのあいだに
いまというこの時があって、
自分のいまのありようが、
目の前のこの現実をつくっている。
そう思ったら、
いまこの場所にあることに、
いまこうしていることに、
ありがとう、と思えた。
何でもない日に、何者でもない自分に戻る。
僕が元気になる方法。