Letter 29 自分の痛みに触れる 創造への入り口
一昨日から昨日にかけて、僕は部屋の壁にペンキを塗った。スタジオにするつもりで床張りをした部屋で、もともとあった襖を外し、石膏ボードを取り付けて壁にしたところに塗ったのだ。六月に壁を張ってからしばらく何色がいいか考えていて、初めは落ち着いたモスグリーンや、向日葵のような濃い黄色がいいかなと思いながら、ここを訪れる友人たちにも相談していた。そしたらある人が、赤がいいんじゃない、と提案してくれた。赤と言っても、深い赤、落ち着いた感じの赤色ね、とその人は言った。僕の中には赤という発想はなかったけど、いいかもしれない、とその時思った。意外にこの部屋にぴったりの色なんじゃないかと。
よし赤に塗ろうと決めてからも、しばらくのあいだ壁はそのままの状態だった。僕はアイディアが浮かんでも具現化へのエンジンがかかるのに時間がかかる。そしていつエンジンがかかるかは自分でも予測できなかったりする。
先週、そろそろかなと思ってホームセンターでペンキを買ってきた。五月に豪佑に手伝ってもらいながら台所をリフォームした際には壁を青く塗った。ペンキをいくつか混ぜて作ったその色がとてもいい色で、今回もいくつかの色を混ぜてこれだと思うものを作ろうと思い、赤だけでなく他の色のペンキも買った。
最近ある本を読みながら、僕は痛みについて考えていた。これまで生きてきた中で自分が抱えることになったパーソナルな痛みについて。その本を書いている人は、自分の痛みを知ることくらい自分を深く理解することはない、と言っている。痛みはその痛みを感じる人固有のものなのだとも。そして、その痛みの裏には、その人がこの世界に生まれてきた理由、創り出したい世界への情熱が存在しているのだそう。
彼女の言っていることはすっと僕の心身に入ってきた。きっとそうなんだろうと思った。
僕の痛みはどんなものだろうか。これまでの体験を振り返りながら書き起こしてみた。何日かにわたって考えたり書いたりしていくうちに、僕は幼少期の出来事に行き当たった。その出来事はここ数年のあいだに何度も意識の中にのぼってきていて、僕はそのことについて折に触れて考えていた。遠い昔のことなのにこうしてはっきりと覚えているということは、やっぱり自分にとって意味のある出来事なんだろうと改めて思った。
その出来事は僕が4歳の頃に遡る(たぶん4歳だったと思う、誕生日がきていたらもう5歳になっていたかもしれないが)。その頃僕は弟と保育園に通っていた。母が毎日車で送り迎えをしてくれて、いつも朝園に着いて、夕方母が迎えにくるまでそこで過ごしていたが、その日は昼ごはんを食べたら母が迎えに来た。ミュージカルを観るために市内にある劇場へ母が僕たちを連れて行ってくれたのだ。初めて観る舞台、それは『オズの魔法使い』のマスクプレイミュージカルだった。家に車を置き、三人でバス停まで歩いて行った。バスが来る前に母が僕に渡してくれたチケットを手にした時のうれしさをいまでも思い出す。これからとてもおもしろいところ、素敵な場所に行けるんだ、という期待で胸が膨らんだ。
会場となっていた場所は本格的な舞台装置がついたステージがあり、照明や音響設備も整った大きなホールで、客席は2,000席近くあった。開演を知らせるブザーが鳴り、場内の照明がフェードアウトして空間全体が暗闇に包まれていく。そして幕が上がり、そこに浮かび上がる色とりどりの光と、鼓膜に響く音楽と、舞台の上に現れた登場人物たち-赤いストライプのシャツを着た大きな瞳の女の子や、かかしや、ブリキの木こりやライオンに目が奪われた。そこには体験したことのない鮮やかな世界があった。
いちばん印象に残っているのが、かかしがトウモロコシ畑のようなところに立っている場面。彼の身体を下で支えている棒がとても細くて-見えないくらい細かった-あの人はどうやって立っているのだろう、あんなに細い棒の上に立っていられるのが不思議でしょうがなかったことを覚えている。物語の序盤で、丸太でできた家が嵐のせいで遠い土地へ飛ばされるよりも、そちらの方が印象的だった。
その舞台の衝撃があまりに大きかったので、家に帰ってからも興奮が冷めやらず、とにかくさっき観た世界をなんとか再現したい、と思った。だけど舞台の上で歌ったり踊ったりしていたキャラクターたちをどうやって再現しようか?家が飛んでいったり、背景が転換していったり、あれはどうやってやるんだ?頭の中がぐるぐるしながらも、とりあえず登場人物たちを自分でやってみようかと思い立ち、家中の両親の服や、布切れなんかを引っ張り出してきて、買ってもらったパンフレットを見ながらキャラクターを蘇らせようとした。もちろん、かかしのように立つことはできなかったし、出来たことといえば母のハイヒールやシャツなんかを身につけてドロシーに扮してみるくらいだったと思う。でも、とにかく居ても立っても居られないような興奮状態に僕はあった。
次の日、僕は朝起きてすぐ、舞台を家に再現しようと試みた。考えていたことはそれしかなかった。食事に使っていた大きめの台を舞台にして、カーテンを幕に見立てて。折り紙と、ハサミで飾りを作って。どうやったらあのすごいステージを再現できるか、そのことに夢中だった。ぜったいに作ってやるぞ、あの舞台をここに作るぞ。何のプランもないまま、ただ思いだけが溢れて、身の回りにあるものを掴んでかき集めた。でも、そのことに没頭できた時間はあまりにも短かった。母は僕に、保育園には行かないといけない、と言い、いつものように車のエンジンをかけた。僕は玄関先で泣きながら行かない、と訴えたけど、最後まで抵抗することはできなかった。僕は保育園に着いてからも泣いていた。母は保育園の先生に、家で何か作りたかったようで、と説明していたように思う。その日保育園でどんなふうに過ごしたかは覚えていない。ただ、その日の朝の、自分の大事なものから引き剥がされるような痛みだけはいまも残っている。
保育園では、先生たちが季節ごとの風物詩を色紙でガラス窓に貼っていた。僕はそれを真似して折り紙で家の窓に切り貼りしたり、式典で飾られる薄い色紙を重ねて作る飾り花をティッシュで真似して作ってみたり、運動会の飾りつけに興味をもってそれをミニチュアのように再現したりしていたから、色や形を組み合わせて何かを表現したり、飾りを作ったり、場所そのものを立ち上げることが好きだったのだろう。
しかし『オズと魔法使い』の舞台を再現しようとしたことは、あの日以来一度もなかった。たぶん子どもの自分にとって、あの時がいちばん心がときめいて、身体全体がそのことに向かっていた瞬間だったのだろうと思う。体験するものすべてが初めてで新鮮である子どもにとって、一瞬という時はかけがえがなく、その時を逃したら次にいつ訪れるかわからない。もう二度と訪れないかもしれない。いま振り返ってわかることだけれど、子ども時代というのはそういう時間だったのだなと思う。
僕は成長する過程で、あの時舞台の世界に夢中になったことや、そこから無理やり切り離された時の痛みをいつしか忘れて大人になった。でも3年前に、これもある本がきっかけで、子どもの頃に抱えたトラウマと向き合おうとした際にふとこの出来事を思い出した。自分のその時の感情を手にとるように思い出し、共感し、その時自分が何を求めていたかをノートに書いた。子どもの自分が、その時の母に対するメッセージのような形で書いたけれど、母には渡さずあくまで個人的なワークとしてそれを書き、胸のうちにおさめた。
その後、その時のことについて実際に母に伝えたこともある。しかしきっとこれは僕個人のパーソナルな痛みであって、その深さはたぶん母には伝わらない種類のものなのだと、どこかでわかってはいたが、伝えた後はそれがはっきりしただけだった。母がわるいわけではない。そのことは理解している。母は機会を与えてくれた。現実とは違う世界があること、そこにつながるきっかけを僕に与えてくれた。(母はその後も僕たちを舞台やコンサートに度々連れて行ってくれた。)そのことがなければ、こんな痛みを感じることすらなかっただろう。
しかし大学時代から自分が必死になって追いかけていたことは、この出来事に起因しているのかもしれないと感じた瞬間、愕然とした。何かを表現したい、という思いは子どもの頃からつよくあり、でもそれを表現する方法を知らず、とにかく外の世界を必死で駆け回っていた。大学を卒業して映像制作や舞台制作の仕事に関わったが、どれも自分がやりたいことはこれじゃない、欲しいものに手を伸ばしているけど核心が掴めない、そんな思いとむなしさを覚えていた。こんなにあくせく探していたけれど、自分が求めていたものは、自分が「おもしろい」と思って「作りたい」というエンジンがかかった時、それに没頭して完成させるというただ一点だったのか、その欲求をただ充たしたいだけだったのか、と思い呆然とした。そして子どもの頃に出来なかったことを、大人になったいま必死にやっているのだと気づいた。あの日、一日だけでも保育園をお休みさせてもらって、好きなだけ自分が作りたいように作れたなら、そこで満足できたなら、この十年間はもしかしたら必要なかったかもしれないとさえ思った。でも、もうあの時には戻れない。どうしようもない。何だか途方に暮れた気持ちになった。
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大人になったいま、僕は内省によって子どもの頃の痛みにつながることができる。そして、子どもの頃にはもっていなかったスキルを身につけている。3年前に出会ったその本にも書かれていたが、子どもの頃に身につけられなかったスキルは、大人になってから身につけることができる。自分をよく知り、自分が必要としていることを自分に与えるために、僕たちは自分自身を養育していくことができるのだ。過ぎ去ったものはどうすることもできない。できることは、現在に立ち、自分自身につながり、未来の方を向いて歩いていくこと。
今年の春から、僕はばあちゃんの家で暮らし始めた。木々に囲まれ、家の中にいても自然の音が耳に入ってくるその空間には、自分が何を求めているのかを感じられる空間がある。昔の家だから隙間だらけだし、修繕しないといけない箇所もあるが不自由は感じない。ここには何かを感じるための余白がたくさんあるように思う。それはいまの僕にとってだいじなことだ。
この場所に、自分が必要としているものを自分の手で創り上げていくこと。そこに何か意味があるとすれば、それは子どもの頃に充分にできなかったことを自ら体験するための機会を自分に与え、自身の奥深くに眠っている痛みを感じ、それを癒していくことなのかなと思う。そこからしか始められない。
現時点での結論のようなところに至り、自分の中でそれを反芻しながら、よし、これから壁を塗ろうと思った。一昨日、曇り空の午後だった。トレーの中に赤色のペンキを流し入れ、他の色をスプーンで少しずつ加えながら混ぜていく。赤が少しずつ、濃い赤になっていく。これでいい、この色を塗ろう。壁の周りを養生し、音楽をかける。僕はペンキに浸したローラーを持ち、壁の真ん中から塗り始めた。