Letter 24 歌をうたう 日常を生きる
施設での仕事を終え、マイクと曲集のテキストを入れた鞄を持ってレッスンに向かうのはたいてい夕暮れ時。車で市街地まで下りる。もしくは、バスに乗って向かう。今日これから歌う曲を車の中で聴きながら、往年の、または現代の歌い手たちといっしょに口ずさむ。
窓の外で景色が流れていく。今日あった出来事の断片が、残像のように頭と心に尾を引いている。先生のスタジオに向かいながら、その像たちとの間に少しずつ距離ができていく。ある種のリセット。職場からスタジオへと向かう時間は、束の間あたまを空っぽにできるとき。こういう時間があるから、日常の中でバランスが保てるのかもしれない。
いろんな歌い手たちの声を聴きながら細かな歌の表現に触れる。Ella Fitzgerald, Chet Baker, Tony Bennett, Bobby McFerrin, Johnny Hartman, Jimmy Scott, Boz Scaggs, Cassandra Wilson, Billie Holiday, … . ほとんどがジャズを本格的に勉強するようになってから出会った音楽家たち。同じ歌でも、歌い手によって味が変わるからおもしろい。自然とその人のカラーが出る。
歌のレッスンは発声から始まる。先生のピアノに合わせて声を出す。身体の姿勢と呼吸を意識する。自分の声を聴きながらピッチが合っているか確認し、同時にお腹に手をあてて丹田から声が出せているかを確認する。こんな風にスタジオでピアノの伴奏に合わせて声を出すのと、一人で練習する時に声を出すのとでは全然違うから驚く。レッスンではピアノの音によって、先生との音やリズムの掛け合いによって身体に、意識にスイッチが入る。身体の奥深いところから声が出てきているなと感じられる時、エネルギーがむくむくと沸き起こってきて全身から溢れ出すのを感じる。そういうのは、僕は他のことではあまり感じられない。もしかしたらまだ見つけられていないだけかもしれないけど。でも、歌うことは、そういう不思議な生命力を自分に与えてくれるものであることは確かだ。
先生のスタジオに通ってもうすぐ二年になる。現在はジャズのスタンダード曲集にある曲を順番に練習している。最初は自分なりに歌ってみて、それに対して先生がアドバイスをしてくれる。先生からよく言われることは、強弱をしっかりつけること。一曲の中で、叫ぶところがあったり囁くところがあったりして構わない。緩急があるのがいい。それから、決められたリズムや旋律どおりに歌わなくてもいい。語るように、呟くように歌うところがあってもいいし、素早く通り過ぎたかと思えば、ゆっくり伸ばすところがあってもいい。自分なりの歌い回しでいい。歌のレッスンを始めた頃、僕は先生に「平均点をとろうとしている」と言われた。きれいにまとめようとしている、と。新しい曲に出会い、ひとつずつ歌っていく度に僕は、もっと自由でいいんだ、もっとはみ出していいんだ、と思えるようになった。
曲に対する先生のアドバイスは、そのまま自分の、日常の生活にもつながるように思えてならない。ジャズにおける大きな要素に、即興がある。デュオでもトリオでもビッグバンドでも、一曲の中にそれぞれの楽器のアドリブがあり、自分のパートではみな思い思いに演奏する。リズムも旋律もプレーヤー次第。ボーカルの場合、即興の部分でよく「スキャット」をする。スキャットというのは曲の中で、たとえば「シャバダバ」とか「ドゥビドゥバ」とか、意味のない音であそぶ感じで自分の声を使って表現をすること。僕も曲ごとにスキャットを練習している。リズムも旋律も決まったものはなく感覚で動かしていくので、両者を自分でコントロールする意識をもたなければならない。
スキャットを練習し始めた時に先生に言われたことは、「意志をもつ」ということ。次にどう行くか、どう終わるか、アイディアをもつ、ということだった。僕にとって即興のいちばんの練習場は、日常。どんなリズムでステップを刻むか。どんなタイミングでどんな言葉を発するか。リズムには呼吸も関わってくるだろう。しっかりとお腹で呼吸できていたらふだんから落ち着いていられるだろうし、ここぞという適切なタイミングをもつかめる気がする。いま・ここに集中しつつ、少し先の未来も見据え、どう進もうかというアイディアをもてたら歩きやすくなるだろう。
どれも難しいこと・・ でも、ちょっと意識してみるだけで、小さな気づきにつながるかもしれない。何かが変わるかもしれない。ジャズのレッスンは僕にとって、日常を生きる上でのセンスを磨くことにもつながっている。
スキャットの練習時に先生から言われたことでもうひとつ印象に残っていることは、「常にあたらしく生まれるという感覚をもつ」こと。テンポが速い曲でスキャットのパートが長めだと、途中で息が切れてしまったり、ひとつのフレーズの繰り返しになってしまったりする。ある曲の中でスキャットをしていた時、先生は呼吸を長く続けようとするよりも適切なタイミングで切りなさい、そしてまた新しい呼吸で始めなさい、と言われた。長い呼吸を維持しようとするとだんだんと細く、弱くなっていき、それは自ずと終点に向かう。終点とは、死。死に向かって長い呼吸を続けるよりも、自分の意志で呼吸を切り、そこからまたあたらしい息を吹き込む。そんな呼吸を続けていけば、終点の方向へと向かってはいても常に新しく生まれ変わった状態でいられる。先生のアドバイスを聞いて意識的に切ってみたら、たしかにリズムや旋律をコントロールしている感覚が強くなった。休止している間に次のフレーズのアイディアも湧いてきて、より生き生きとしたスキャットになった。
先生はこんなことも話された。ブレス(呼吸)が自由にできるよろこびを感じなさい、と。ジャズを生み出し演奏していた黒人たちは、彼らの生活において自由にブレスすることがかなわなかった。そこにはいくつもの制限があって、たくさんの痛みや悲しみがあった。だからこそ、ブレスが自由にできる瞬間のよろこびは大きかった。ジャズを歌う上で、ブレスを自由にしていく、ブレスが自由になっていくことが大事なんだ。・・・
僕はCharly Parkerの言葉を思い出す。“Music is your own experience, your thoughts, your wisdom. If you don’t live it, it won’t come out of your horn.” 「音楽は君自身の経験であり、思念であり、知恵だ。君がそれを生きるのでなければ、それは音には出てこない」。僕は二十歳の時にアメリカを旅していた時、カンザスシティのジャズミュージアムでこの言葉に出会った。その言葉の意味が、いまは少しわかるような気がする。日常の中で、いろいろな制約を感じながらも「自由」に手を伸ばすこと。自分にとって本当の自由って何だろうと考えること。それはこれからも続いていくし、そうすることが生きる、ということなんだろうと思う。
ジャズは、融合の音楽。それぞれの民族のエッセンスが出会い、刺激しあい、溶け合ったスープのよう。たくさんの人たちに歌い継がれてきた歌。よろこびや、哀しみが詰まった歌。スタンダード曲を歌う時、自分が音楽の長い歴史につながって人間の普遍的な感情を共有しているような気持ちになる。同時に、自分という一個の存在が、個人的な経験や感覚を通してその曲を体感し、声を出すことで自分自身の内奥を表出しているようにも思う。内と外の境界が消えてなくなる感じ、個人と集合体とが溶け合う感じはこういうところからもたらされるのか。
もっとたくさんの歌の旋律を、言葉をこの身体に通過させたい。そのリズムやグルーヴを全身で感じたい。