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2020-02-28

Letter 18 Session 自分への手紙 6〜13才の自分

おとうさん、おかあさんへ
ぼく、自分の気持ちがよくわからない。自分が何がほしいのか、よくわからなくなることがあるんだ。前はそんなこと、なかったはずなのに。
だけど、いま、あまりたのしくないことはわかる。ぼくはバドミントンの練習の時間があまりすきじゃない。きまった時間に体育館に行って練習するのが、たいくつなんだ。学校の体育の時間はきらい。ドッヂボールとか、鉄棒とか、校庭を走ったりとか、やりたくないことも、むりやりやらされるんだもの。
ねぇ、なんで学校に行かなきゃいけないの?「行かなきゃいけないに決まってるでしょ」なんて答えじゃなくて、もっと納得できる答えをぼくに聞かせてよ。自分の頭で考えることができるように、おもしろい本をぼくにちょうだい。そしてその物語の世界に入っていけるように手ほどきをして。ぼく、もっとワクワクするようなことに出会いたいんだ。

おとなのぼくへ
ねぇ、ぼくカツラを自分で作ってそれをかぶってる。テレビで見た人を真似して、鏡を見てポーズをとってる。でも、なんでこんなことしてるんだろう。たぶん、変身したいんだ。自分じゃない誰かになりたい。ぼく、女の人に生まれてきたらよかったのかな?それとも、もっと別の生き物だったら?こんなこと考えるの、ぜんぜんおかしなこととは思わない。でもこれよりもっとたのしいこと、他にないかなぁ?
ぼくをいろんな場所に連れていって。外国の話を聞かせて。ワクワクするようなこと、いっしょにやろうよ。ぼく、ほんとはお兄ちゃんかお姉ちゃんがほしかったのかもしれないな。何がほんとうにかっこいいことなのか、何がこの世界でだいじなことなのか、ぼくにおしえてよ。

<現在の僕から、あの日のぼくへ> 6~13才のぼく
ものごとの道理や社会の力関係なんかを少しずつ理解しはじめているきみは、いま何を思うのだろう?自分を他のクラスメイトたちと比べて、劣等感を抱いたり誰かをうらやましく思ったりしているだろうか。写真に写るきみは、幼い頃よりもあまり笑っていないようだ。ほんとうはもっと素直に自分を表現したいんだろう。きみはきみにふさわしい場所を求めている。でもそれを見つけることはなかなかむずかしいようだ。
でも、きみがふだん感じたり考えたりしていることは、あとになってきみを導く養分と道標になるよ。日常の些細なこと--学校から帰ってきて弟たちと見ているアニメ映画や、子ども劇場でみる舞台、家族で行く山登り、自分で始めた習い事なんかがそうだ。それはきみの魂のおく深くに沈んでいく。小さなようだけれれどそれがあとで大きくなっていき、きみの世界をつくるだいじなピースになるんだ。
僕はきみの不安や迷い、焦燥感もぜんぶまるごと抱きしめてあげたい。まわりがどうあろうと、きみはきみのままでいいんだと言い聞かせてあげたい。そうすればもっと、自分の内にナチュラルに感じられることをそのままやることができるだろう?無理して背伸びする必要なんかないんだ。
きみがもっている素質を伸ばしてやりたい。もっと自然な形で技能を伸ばすこと、そのよろこびをきみに味わわせてやりたい。それがほんとうの意味での「自分らしさ」につながるし、自分を生きる、ということにつながっていくんだ。
もう一度言う。きみはきみのままでいい。好奇心の赴くままに、自由にきみだけの道を創造していくことを願っているよ。