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2019-04-08

Letter 09 −トランジション− この土地を眺める

 床に座して、目を閉じる。静かな部屋で一人過ごす、空白の時間。時々、こういう時空間が必要だ。僕はそこで騒々しい日常から少し身を引き、ふだん生活している場とは違う階層にある場所に降りていく。プールで泳いでいる時、水に身体を委ねながら自然な流れとともに深いところへ潜っていくように。
 少しずつ呼吸が深くなる。頭を占領している余計な情報を振り落とし、気持ちの奥にあるものに神経を集中させる。そこで自分自身とともにあることをたしかめ、内奥に語りかける。「ここまで来たね。調子はどうだい?」そして、奥の方から声が聞こえてくるのをじっと待つ。
 しばらくすると、声が発せられる。がらんとした空洞に響くその声にじっと耳を澄ませる。内容について判断したり、非難したり、正当化したりしようとせずに、「ただそうであること」を受けとめること。その声に対して問いかけ、その問いに自分で答える、というやりとりを繰り返す。

 これからどこに行きたい?

 どんな場所に身を置いていたい?

 自分にとって大切なものを知るには、深いところに潜ってものごとを見ることだ。身を委ねるべきものは、太く、揺るぎないもの。手ざわりや実感を頼りに、よりたしかさを感じられるものを掴む。自分の身体に内なる指針があることを感じる。僕はいま360度開かれた地点に立っていて、その声が自分を駆動し、行きたい場所へと導いていく。そんなイメージが思い浮かぶ。先の方で、かすかな光が見える。よし、こっちの方へ進んでみよう。
 決断する時、そこに至るまでには思考や論理、計算といったものを足掛かりにしているけれど、最後に頼りになるものは直感だ。疑問や迷いを完全に振り切れたわけではない、しかしそれをも引き連れて、目にした光を信じてその場所へ向かおう。
 ゆっくりと目を開ける。視界にぼんやりと日常の色や形が戻ってくる。大きく息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。歩いているうちに頭と身体が日常の領域に戻り、そのリズムとパターンに適応していく。でも深いところで感じとめたことは、忘れてしまったとしても身体の奥にちゃんと残っている。それは時間の流れの中で結晶化した思いや言葉。それを手にとって、ひとつひとつつなぐようにして歩いていく。

 ・・・いま立っている場所は、あの時深いところで捉えたものの延長上にある地点。部屋の中で目を閉じていたのはついさっきのことのように感じるから、いま実際にここに立っているのがなんだか魔法みたいだけれど、それは魔法でもなんでもなく時間の中に生きる僕たちがいつも体験していることだ。思いによって現実が形づくられ、考えによって世界がその様相を変え、実際に歩いていく道の先々でいくつもの展開が引き出されていく。ふとした時に、そのことの不思議を思う。慌ただしい日常の場面を走っている時、処理しきれない情報や内なる迷いに混乱している時、原点に立ち戻ることで自分がほんとうに感じていることや、求めていることにふたたびつながることができるような気がする。そして、その連続によって自分の見ている景色や人生がつくられていくのなら、そのプロセスをできるだけ大事に重ねていきたいと思うのだ。

 はじめて曲を作った時、出来上がった音楽を聴いて僕は生まれ育った土地の風景を感じた。作っている時にはまったく意識していなかったが、長年過ごしたその土地で感じた光や風、水や草木など自然界の要素が曲の世界に現れているように思った。物心ついた時にはずっとそこから離れたいと思い、自分で外に飛び出したのに、あたらしい土地に身を置いたら生まれ育った土地にあるものを無意識的に追い求めていた。水、緑、人のこころ。言うなればそれは潤いのようなもので、自分のまわりになくなってはじめてその存在を意識することになった。手を伸ばしてもそれに触れられない時、僕は曲作りを通じてそれらの要素を自分で紡ぎ出していた。
 自分のもつ感覚は生まれ育った場所に大きく影響を受け、その土地によっていまある自分の大部分が形づくられている。生まれてから一八才になるまでの長い時間を過ごしたのだから影響を受けないはずはないのだが、自分の感性や身体がもつリズムにまでその土地にある何かが作用していることをつよく意識するようになったのはここ数年のことだ。これから先、心の奥にある願いを形にするにも、行きたい場所に行くにも、まず自分の呼吸やリズムを取り戻すことが必要だと思った。それは自分の核になるものであり、いのちそのものだから。

 浴室を出て、窓を開ける。洗面所の脇についている小窓は顔の高さのところにあって、ちょっと顔を出すと微風を感じる。夜のつめたい空気が窓から流れ込み、ほてった身体を冷ます。こうして風呂上がりに窓を開け、外から入ってくる風を感じるのが僕は好きだ。それは長年過ごしたこの家での、子どもの頃から変わらないひとつの小さな習慣だと思う。ひんやりとした夜の風とその匂いを感じ、深呼吸する。そうすると不思議と心が落ち着く。
 変わらないのは、この窓から感じる風の匂いもそうだ。この匂いは、東京でも、他の場所でも感じたことがない。この場所で吹く風が特有の匂いをもっているのか、それとも、この小さな窓を通して夜風に触れるというシチュエーションがそう感じさせているのかはわからない。でも、しばらく離れていて久しぶりにこの家に戻ってくる時には、いつもこの風が「帰ってきたな」と感じさせてくれた。
 僕は洗面所にあるその窓をよく閉め忘れてしまうのだけれど、母は開け放しにされた窓を見るといやがる。家の外に積もった火山灰が風にのって窓から洗面所の中に入ってきて、窓枠の下の板がすぐにざらざらになってしまうから。晴れた日には家中の窓を開け放したいのだけれど、桜島のご機嫌と風向きによってはそうするわけにいかない。こんな小さなことで、僕はいま生まれ育った土地にいることを実感する。

 朝、自転車を漕ぎながら坂道を登っていく。立ち並ぶ住宅が途切れて、その先への視界が開ける地点で右手を見れば、お、あるな、と思う。青くそびえる桜島。てっぺんからゆっくりと煙を吐いている。スローモーションの映像を見ているような速度。立ち止まってしばしその姿を眺める。曇りの日は姿を隠してしまうが、快晴の日はくっきりとした形が山肌とともに浮かび上がり、その優麗さが際立つ。
 この地においてはどんな場所にいても桜島が目に入る。市街地を歩いている時は、ショッピングストリートの向こう側にどどんと構える山が見えて、人工のラインと自然の造型物のコントラストが鮮やかだ。市街地から目と鼻の先にある桜島は大きく、道路の左右に立ち並ぶ建物にちょうど山が挟まれるように見える通りがあって、その光景はなんというか、ちょっとユーモラスでさえある。錦江湾を臨む海岸線を辿って隼人・国分に向かう時も、霧島や鹿屋の高原からも、桜島は角度によって少しずつその姿を変え、いま自分が立っている地点をおしえてくれる。
 実家のすぐ近くにも桜島が一望できる公園がある。高台にあるので、市街地やその向こう側の丘陵、晴れていれば霧島方面に高千穂峰や韓国岳、半島の先端には開聞岳まで見渡せる。この地で過ごしていた学生時代には気にとめることのなかった「ふつう」の景色が、いまでは興味をかき立てられる存在になった。街のすぐ近くに煙を吹き上げる活火山があり、それを取り囲む湾があり、イルカやクジラなどの海洋生物が周囲を回遊していること。高低差が大きく緩急の激しい土地には温泉が湧き、そこに住宅地ができ、人が生活を営んでいること。そして自分もこうしてこの土地に生かされていることに、不思議な縁のようなものを感じる。

 町を歩く。学生の頃、毎日通っていた道。そこを歩いていく子どもたちの姿が目に入る。ランドセルを背負って駆けていく小学生や、ジャージを着て友だちと話しながら歩いていく部活帰りの中学生。黒い鞄を手に持って黙々と歩く高校生。いままでは、それぞれの時間を歩んでいる彼らを眺め、当時の自分を思い出しては懐かしんでいた。時々、息苦しくなることもあった。その時々の自分がまだ身体の一部として残っていて、過去の出来事を思い出す度にその部分が痛んだり震えたりした。でも、この場所を拠点に暮らしていこうと決意して戻ってきたいま、もはやそういう感覚はない。ただ過去の記憶として、頭の中に存在しているだけだ。その代わり、いまは彼らの目を通してこの景色を見つめることができる。車の流れが絶えない道路の脇をきょろきょろしながら歩くあの子や、部活で疲れた身体で塾に向かおうとしているあの子や、進路に悩み、未来に対して漠然と不安を抱いているあの子の目を通して。
 道草を食ってほっつき歩いていたその道を、いまは車に乗って走り過ぎていく。ハンドルを握り、アクセルとブレーキを踏みながら、目的地に向かって最短のルートを辿る。いまここにある身体とともにあって、前方の景色しか見ていない。雲に覆われた空の下、コンクリートの道が先に続いている。スピーカーから静かな音楽が流れている。

 鹿児島市街地の近郊に広がる住宅地の一角で、僕は幼少期から高校を卒業するまでの期間を過ごした。いまの町の姿は、僕の子どもの頃とそれほど変わっていない。ただ、以前よりも道路の面積が大きくなり、大型チェーン店が増え、宅地化がいっそう進んだ。現在も住宅が建設され続け、その土地にもともとあった森や野原は姿を消していく。通っていた学校や近所のスーパーの前を通ると一応、戻ってきたな、という感慨をおぼえるけれど、大型店が立ち並ぶ県道沿いや新しい住宅地の姿に懐かしさのようなものは感じられない。新しい道路や家や建物が次々と作られていくこの町に、むかしから残っているものって何があるのだろう。ここで生活している人たちは、土地とのつながりをどれほど感じているのだろう。
 どこにでもあるコンビニエンスストアに入って、蛍光灯に照らされた商品を手に取る。テレビをつければ、日本全国同じニュースや番組が流れている。子どもたちはゲーム機に夢中になり、大人たちはスマートフォンを肌身離さず、テレビや新聞が発信する情報に取り囲まれて生活している。僕たちの無意識は、眩しい蛍光灯に照らされた商品やスクリーンの中の出来事に向かってしまい、足元にあるものが目に入りにくい。そこに転がっている綺麗なものや、そこで息絶えようとしているものにさえ気づく余裕を与えられない。そうしているうちに、町には効率性やスピードを追い求めるたくさんの無機質な箱が増殖していく。たぶん現代では、その土地とのつながりをもつ機会があまりにも少ないのかもしれない。
 欲しいものをネットで注文すれば翌日に届けてくれたり、世界各地にいる人たちと自由に情報をやりとりできたり、高速移動できる乗り物に乗って短時間で遠くの場所に行けたりする一方で、消費するエネルギーは膨れ上がり、スマートフォンに矢継ぎ早に映し出されるタイムラインに思考が中断されたり、慌ただしい毎日の中で自分の意思とは関係のないところで自分がコントロールされているような感覚を抱く時もある。
 しかし、これがいま僕たちが生きている世界のあり方だ。ふだんあまり意識せずに生活しているけど、ちょっと立ち止まって点検してみたら自分の生活自体がいま暮らしている土地に負荷をかけていることに気づく。この土地にもともとあった森が切り開かれて道路ができたり家ができたりすることと、自分の生活は無関係ではない。この流れを止めることはできないのか?休みの日に、もっと自然の多いところに移動して気分転換すれば済む話なのだろうか。いま目の前に広がる町の景色は一人一人の人間の欲求とライフスタイルの結果であり、自分自身ももれなくそこに含まれている。自転車に乗って町を走っていたら、ブルドーザーで森を切り崩し、土をならしているところを目にする。それも自分たちの生活のための営みで、自分たちが暮らしている場所から、雑木林や小さな自然環境が消えていくことを嘆きながら、僕自身もその流れに加担しているのかと思うと、迷子のように途方に暮れた気持ちになる。
 たしかにここには大きな自然要素――山や海、森はあるのだけれど、自分たちが生活している町の空間に緑はそれほど多くない。そのことを、この町に戻ってきて改めて感じた。東京で暮らしている時は、地方での生活自体が自然とともにあるというイメージをもっていたけど、必ずしもそうではない。その土地にある自然環境を生かすのではなくコントロールして、管理しやすくし、便利さだけを追求して作られたような場所では、生活の用は足りてもそこでくつろいだり、その場からエネルギーを得られることはない。部屋の中でテレビを見たりパソコンの画面と向き合って過ごし、コンビニやバーガーショップで食事をするという生活だったらこの土地にいることさえ忘れるだろう。そのようなライフスタイルなら、他の町にいても、海外の他の都市にいたって中身は同じ。
 身を置いているその環境によって人は大きな影響を受けるのだから、ふだん生活している環境にこそもっと自然が感じられる空間があればいいと思う。かつてじいちゃんやばあちゃんが暮らしていた里山のように、自然と人の暮らしとがゆるやかにつながっているような空間に僕は飢えている。道路や上下水道などの社会設備は整ってきているのだから、そこで生活する人をもっと想像してまちがデザインされていくなら、日々の生活の中に安らぎが生まれ、人と人との交流が生まれ、いままでになかった何かが引き出されてくるのではないか。

 トランジション。

 ふっと言葉が浮かんで、自分に言い聞かせる。

 すべてのものは移ろいゆく。いま、あらゆるものが過渡期にある。常に世界は変化していて、自分自身も変わっていく。いま目の前にある景色を絶対と捉える必要はないし、現在の自分のあり方だって、固定的なものと見なさなくていい。移ろいゆく時間の中にあってひとつの形をとっているだけだ。

 トランジション、トランジション。いまは過渡期。

 その考えは、僕を少し落ち着かせる。
 これまでいろんな場所を渡り歩き、そこにしかない空気や音、自分がその空間にあることを感じとめてきた。そしていま、「どんな場所も地球上にある一点」という認識が僕の内に根付いている。生まれ育ったこの町も、東京で暮らしたまちも、旅行で訪れた場所も海外の都市も。すべての場所を相対的に、俯瞰して眺めるようになった。ひとつの大きな世界を共有している感覚があり、またそれぞれの場所の特徴も見えるようになった。
 それは他者を知ることで自分を知る、というあり様に似ているかもしれない。たくさんの人やその人生に触れれば、それぞれの人のもつ特性や自分自身の特性もだんだんわかってくるし、同時に共通する部分も見えてきて、自分と他者のあり方がより明確に捉えられるようになる。いくつかのケースを知ることで比較ができるし、すると目の前にあるものが「ありふれた」「ごくふつうの」ものではなくなり、新鮮な驚きとともにフラットな視点で捉えることができるようになる。
 そのように視界が広がった一方で、全てが均一化し、同じ枠の中に押し込められているような窮屈さも感じる。Googleでマップを開いて世界各地の街や通りの様子まで見渡せる現在、もう見えていない世界はないんだよ、と言われているような感覚に陥る。それはそれで、一種の倦怠感を覚えさせる要因なのかもしれない。地球上のあらゆる場所がある程度まで同質のものになってしまい、固有性が消え、未知のものがなくなる。全ての価値が同じ単位で測られ、可視化でき、理解可能であるというような認識は、自分たちの好奇心や探究心を削いでしまっている。
 そういえば宮沢賢治はこんなことを言っていた。「宇宙は絶えずわれらに依って変化する 潮汐や風、あらゆる自然の力を用い尽くすことから一足進んで 諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ」。前の時代に築かれた道の上を、現在に生きる僕たちが渡り歩いている。道路も、社会システムも、ものの考え方も。便利な現代生活の端々で、先人たちの知恵や努力によって長い時間をかけて築き上げられてきたものの恩恵を受けていることを実感せずにはいられない。でも同時に、いまこの瞬間に内面で感じていることや必要としていることが外側の世界で築かれているものとぶつかり、それが壁のように立ちはだかっているように感じる時もある。それは文字通り外壁のような物質的なものと、精神的なもの、人の意識の中に存在するものがある。どちらにせよ、その壁は人を傷つけ、疎外し、大きな痛みや悲しみをもたらす。

 人の感覚や意識は変わっていくものだ。これまでの時代に生きてきた人たちの欲求によって、アイディアによって、いま自分たちが暮らしている世界が形づくられてきたなら、現在の感覚によって、いまを生きる自分たちの必要によって、あたらしい世界の姿がまた現れていくはず。感覚を磨き、違和感はそのまま大事に自分のうちにもっておこう。そして、こうありたい、こういう世界に生きたいという思いを恐れることなく表現し、まわりにいる人たちと共有し、手を組んでひとつずつ形にしていくこと。古い壁は、あたらしい感覚とともにその形を変えていかなければならない。
 世界のあり方とその先行きはいまこの瞬間を担う僕たちに託されている。一国のリーダーや有名人じゃなく、日常に生きる、ごくふつうの僕たち一人一人に。大袈裟ではなく、そういうことなのだ。しかと受けとめて、少しずつでも前に進んでいくしかない。