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2018-12-06

Letter 06 自分を回復する場所 命あるもの

 鍵盤を叩いてはやり直し、叩いてはやり直し、の繰り返し。窓を見やればすでに昼間の明るさが失われ、ぼんやり霞んだ夕方の空。校門を出てきた高校生たちがはしゃぎながら家路につく時間帯になっている。今日という一日は、こうして過ぎゆく。けっして無駄にしたとは思わないけれど、今日という日の過ごし方にも別の可能性があったことを思う。だけど、これが僕の選んだ今日だった。キーボードの電源を落とし、MacBookを閉じて、外に出る。自転車にまたがり、近くの公園へと向かって走る。商店街を抜けて富士街道を渡り、公園の前にある木立の下に自転車をとめて階段を下りると、そこには水辺の景色が広がっている。まちの中心にある、石神井公園。このまちに住むようになってから、もう何度訪れたか知れない。早朝や、晴れた休日の午後、夕暮れ時、雨の日、夜中。気が向いた時、いつもこの場所を訪れては歩いた。外の空気を吸いたい時、考え事をしていて頭を整理したい時、思い悩んでいる時にも、気づけばスニーカーを履き、公園へと向かっている。別の場所にいても心がこの場所へと向かっている、そんなこともあった。
 公園と言っても、ここはちょっとした森のよう。木々に囲まれ、水辺にはたくさんの鳥たちが憩う。街の喧騒や日常生活からしばし離れ、ここが都心に近いことも忘れてしまう。

 歩く、歩く。何も考えずに。ただただ歩く。目の前にあるものを見つめる。前方から後方へと流れていく木々、その幹の形と、葉の青さを目にとめる。水辺を泳ぐ鴨の親子や、池の浮島にとまる真っ白な鷺が目に入る。自分の身体が動いていることを感じる。心臓の鼓動と、呼吸のリズム。聞こえてくる音に耳を澄ませる。水が湧き出すボコボコという音。虫の声。木々のざわめき。鳥の声。通りゆく人たちの話し声。吹き抜けていく風の音。遠くに響く、西武池袋線の電車が走る音。
 立ち止まり、しばし水面を見つめる。気温が少し下がり、遠くから吹いてくる風が汗ばんだ肌を乾かしていく。水面に映る景色と、それを揺らす波紋。ゆらゆらとたゆまず静かな波をつくっている。トワイライト。一日の中で、この景色がもっとも澄んでいく時間。この景色を前にすると、精神が浄化され、フラットな状態に戻る。求めているのは、自分がリセットされる感覚なのだろう。

 石神井公園を初めて訪れたのは、大学を卒業して二年目の冬だった。楽器の演奏ができる住居を友人といっしょに探していた時、たまたま練馬区石神井に防音室付きのマンションを見つけた。二人でその物件を見に行った帰り、近くにあるという石神井公園にも足を運んでみた。日暮れ間近で、つめたい空気のなか、公園内の雑木林を歩いた。土の上を枯葉が覆い、草木が茂みをつくっている。鳥たちが鳴きながら空を飛び交う。大きな池にはボートが浮かび、水辺には桜や柳が植えられ、対岸の広場には杉、けやきなどの大木がどっしりと根を下ろしている。その自然の「深さ」にちょっと驚いてしまった。こんなに自然豊かな場所が都心の近くにあったなんて。
 三宝寺池の方まで辿り着き、ボードウォークの上を歩きながら脇に立ち並ぶ杉を見上げていた時、あれ、と思った。どこかで見たことのある景色だ。その大木のそばには「メタセコイア」と書かれた標識があり、練馬の名木とある。この木の形、大学時代に一年暮らしたポートランドの森で見た木にそっくりだ。その先には広々とした池を臨むポイントがあり、この杉林と水辺のある空間は、ポートランドの趣に通じるものがあると思った。藍色に染まりゆく空と、空の色を映して揺れる水面をしばらく眺めた。東京でこんなに澄んだ景色を見たのは久しぶりで、心まで洗われていくようだった。この土地のもつ空気感や風土が、自分の求めているものとフィットする感覚がある。ここだ、と思った。

 早朝から深夜まで、友人と二人で丸一日かけて引越し作業をし、石神井での暮らしがこうして始まったのだが、僕の新生活はまずあたらしい仕事を探すところからだった。大学を卒業した後、音楽と並行して取り組む「表現」の仕事として映像制作の職に就いたけれど、深夜作業やタクシーでの帰宅が続いて、毎日の生活から「暮らし」の要素がなくなっていった。仕事の中で自分がやっていることや日々の生活スタイルに違和感を覚えるようになって初めて、自分がほんとうに求めている表現や、理想とする創作環境について考えるようになった。もっとも、どんな環境を自分が求めているのか、そのビジョンがはっきり見えているわけではなかった。とにかく状況を変えようと映像制作の職場を離れたけれど、その先に仕事のあてがあったわけではない。これからどんな仕事をして、どんな暮らしをつくっていこうか。とにかく手探りで進んでいくしかない。僕はまちを歩きながら考えた。

 犬も歩けば棒にあたる。吸い寄せられるようにして辿り着いたのは、まちのパン屋さん。大きな通りに面しているけれど周りは住宅地で、隣の敷地には広大なキャベツ畑もある。店先にクロワッサンの看板が下げられている。お店は小ぢんまりとしているけれど、中にはカフェスペースもあり、雰囲気がとても穏やかであたたかい感じがした。ショーケースの中には手作りのパンが並べられ、ひとつひとつ丁寧に作られているのがわかった。パンの中からいくつか選び、お店の中でコーヒーといっしょにいただいた。その時食べたパンはとても素朴な味がして、おいしかった。僕は店主にこのお店のことや、パン作りのことを聞き、しばらくここでアルバイトをさせてもらうことにした。

 このお店での仕事は、店主が焼いたパンをショーケースに並べ、お客さんの注文を聞いてパンを袋に詰め、手渡すこと。お昼にはランチセットも出していたので、パンやサラダ、スープを器に盛り付けたりもした。それから、デザートとして出していたマフィンを作ったり、ランチで出すスープの仕込みをしたり、カフェにやってきたお客さんにコーヒーを出したりもした。このお店で働くアルバイトの女性たちがこれらの仕事を教えてくれた。週に何度かここで働く以外の時間は主婦をしているというお母さんや、他のお店でのアルバイトを掛け持ちしながら働いている人や、大学生の子もいた。彼女たちはみなこのまちで生まれ育った人たちだった。スープの隠し味やマフィン作りのコツだけでなく、近くにあるおいしいお店、スーパーや病院などの場所、お店への近道など、土地の人しか知らないようないろんなことを、彼女たちが教えてくれた。
 朝から夕方まで、いろんなお客さんがお店にやってきた。いつもサンドイッチを買いに来るおばあちゃん。日曜日に一週間分のパンをまとめ買いしていくおじいちゃん(その数10個くらいで、注文されるパンの種類も決まっていたので、〇〇さんセットとしてメモが貼られていた)。仕事帰りに食パンを買いに来るお母さん。いつも必ずあんパンを買っていく小学生の男の子。休日にはたくさんの家族が焼き立てのパンや、ランチを食べにやって来た。来店するお客さんと話をしたり、売り場から窓の景色を眺めていると、このまちで暮らすいろんな人たちの生活が見えてくるようだった。

 ここで働くようになってから楽しみにしている催しがあった。それは、近くの神社で毎年五月に開催されるという「いち」。この地域で暮らす方々が協力して立ち上げた、おいしい食べ物やクラフト、身につけるものなどを集めた、手作りのマルシェだ。音楽家たちによるライブパフォーマンス、モビール作りや木工などのワークショップもある。その名も「井のいち」。このパン屋さんも例年通り出店するということで、僕もお手伝いで参加させてもらうことになった。店主からいただいたチラシに、このいちのコンセプトが書かれていた。

 陶器、硝子、木工、染織。
 美術に、音楽。
 それから、美味しいもの。

 ものをつくる人。
 芸術・美術をになう人。
 音を奏でる人。
 美味しいものをつくる人。

 それらを愛し、たのしむ人。

 この「いち」が愛され、
 新たなつくり手を呼び、
 このまちに根づいていくこと。
 
 このまちが、よりいっそう
 「いいまち」になること。

 願っています。
 
 シンプルで、とても素敵なコンセプトだと思った。そして井のいち当日、まさにそのコンセプトが、境内に並べられた陶器や衣服、アクセサリー、手づくりの食べ物や飲み物として、ひとつひとつ形になっているのを目にする。
 手がかけられたもの。よりよく工夫されたもの。時間をかけて、丁寧に育てられたもの。どれひとつとして同じものはなく、個性をもち、それをつくった人の思いを感じさせる。その思いは、つくり手の内側から溢れ出てきたもの。「つくりたい」という純粋な思いや、よろこびを感じさせるもの。
 ひとつの陶器、それは小さな茶碗でしかないけれど、複雑な世界を内包している。素材や、形、色。その土地の気候や、風土。わずかな配合の違いが、その器の個性を決めるのだろう。それはすっと手のひらに収まるのに、とても深い世界がそこにあることを感じさせる。そういうものに触れていると、新鮮な驚きがあり、それがよろこびに変わり、幸福感に包まれる。
 歩いていると心地よい音色が耳に響く。境内の一角にある神楽殿で演奏されている音楽。静かに吹く風のように、自然体で、慈愛に満ちた音だ。お父さんもお母さんも子どもたちも、おじいちゃんもおばあちゃんも、赤ちゃんも。いろんな人たちがこのいちに集まり、行き交う人たちはみな穏やかな顔をしている。こういうものが暮らしの中にあったらいいな、こういうものたちに囲まれて暮らせたら幸せだろうな。そう思わせるものが、このいちには集まっている。けっして派手ではなく、たくさんのお金がかけられた贅沢さがあるわけではないけれど、そこにはたしかな充足感がある。いま、この場にいることをとてもありがたく、幸福に思う。
 この感覚、この場にいて感じるものを、何と表現したらいいだろう。心地よさや快適さ、積み重ねられた暮らしの中で磨かれてきたデザイン。一言で表すなら、美しさ、だろうか。あるべきものがあるべき場所に配置され、無駄がない。門がひらかれていて、誰でも自由に参加できる大らかさ。そして何より、誰もが自然体で、のびのびとしているという心地よさ。それまで抱いていた美しさに対するイメージが、僕の内側で刷新されていく感じがした。もしかしたら、それはもともと自分の奥底に眠っていた感覚かもしれない。いつかどこかでその感覚に触れたことがあり、安心してそこに身を委ねた。その記憶が呼び覚まされたと言った方が近いのかもしれない。あとで、僕は「民藝」という言葉を知ることになり、この日にもった感覚は民藝の思想につながっていることを知った。

 大正時代に民藝運動を起こした柳宗悦は、民藝の性質をこんな風に説明している。
 1、実用性がある。それは生活に即して生まれてくる。2、廉価である。多く作られ、また安く作られる。3、平常性をもつ。最も自然な状態にあるものが最も美しい。4、健康性をもつ。美に様々な姿があろうとも、健康美は最も多く社会の幸福を約束する。5、単純性をもつ。質素で簡単。6、協力性の美がある。それは一人の作者による所産ではなく、多くの人の協力の所産である。そして最後にもっとも大切なものを、国民の生活が直接的に表現されていること、としている。これなくして国民的表現はないのだから、民藝の発達が強い国家をつくるのだ、と。(柳宗悦『民藝とは何か』より)
 ここに挙げられている性質を見てみると、井のいちには民藝の精神が息づいているのだなと思う。そういう精神性を感じられる場は、あまり多くない。それはちょっと残念なことだ。だからこそ、そういう意気を感じさせるような場やモノに出会った時には心が動かされ、よろこびで満たされる。民藝がもつ美しさは、今後僕にとってひとつの価値基準になっていくような気がした。

 このパン屋さんと同じ時期に出会った場所がある。それは「プレーパーク」。子どもたちが自由に自分たちの遊びをつくり出す場所だ。東京では都立公園や区立公園の一角がプレーパークとなり、全国でもそれぞれの地域で展開されている。
 ある日インターネットでプレーパークについて知り、近くにあったいくつかのプレーパークを実際に訪ねてみた。そこで見た子どもたちの姿に驚いてしまった。木に登ったり、水たまりの中を泥だらけになって駆け回っていたり、焚き火の上にお玉をかざしてアメを作っていたり、木の棒でチャンバラをしたり、基地をつくったり。まさかこんなにワイルドに、東京に暮らす子どもたちが冒険的な遊びをしているなんて想像できなかった。東京の子どもたちはコンクリートに囲まれた環境で遊んでいる、という勝手なイメージを彼らは見事に裏切ってくれた。こんなに元気に遊ぶ子どもたちがいるのなら未来は明るいなと思わせる。設置された遊具で遊ぶのではなく、遊びそのものを自分たちでつくり出す子どもたちを見ているとこちらも創造力をかき立てられ、彼らの生き生きとした姿に学ぶものがあると思った。僕は近くにあったプレーパークが主催する研修会に参加し、その時スタッフの募集をしていた新宿にあるプレーパークで「プレーリーダー」という現場スタッフの活動を始めた。
 プレーパークのモットーは「自分の責任で自由に遊ぶ」。子どもたちはやりたいことがあったら、どうすれば実現できるかを自分たちで考えながら遊ぶ。一人のアイディアから始まったものも、仲間が集まればよりダイナミックな遊びに発展する。その時に自分の考えを相手にうまく伝えたり、相手がよりよいアイディアをもっていたらそれを取り入れたりしながら自由に遊びが展開していく。もともと「やりたい!」という思いから始まり、やり方に正解があるわけではないから、最初に思いついたアイディアがなかなかうまくいかなかったとしても、違う方法を考え、試行錯誤しながらそのアイディアを形にしていく。限られたエリアでたくさんの子どもたちが同時に遊んでいて、使える道具が限られていても、「こうしたらいいかな」「こうしたらできるかも」と工夫しながら制約を乗り越えていく。野外だからといって駆け回るだけではなく、絵を描いたり本を読んだり、積み木を並べてピタゴラスイッチみたいな仕掛けを入れたドミノ倒しを作ったり、ダンボールで家を作ったりする子もいた。つまり、遊びの内容はなんでもいいのだ。周囲に危険が及んだり、他の子どもたちの遊びが制限されてしまうようであればプレーリーダーやお母さんたちが注意するけれど、それ以外のことならどんなことをやってもいい。多少危険だと思われるようなことでも、子どもたちはいろんな種類の遊びの中で、自分で危険を察知し、それらをうまく回避していく術を身につけていく。

 新緑の季節にプレーパークを初めて訪れてから、梅雨、夏の日照り、秋の紅葉、冬の寒さをくぐり抜け、春、また暖かくなって桜の花びらが舞う頃まで、僕は四季がひと巡りするのをプレーパークの土の上で、全身で体験した。照りつける陽差しと鳴り響く蝉の声を浴びながら猛暑に耐えた夏と、何枚も着込んでいるのに底冷えする寒さに凍えた冬は忘れられない。でも、うだる暑さの中で浴びたつめたい水の感触や、冬の日に近所に住むお母さんが持ってきてくれた手づくりのスープのあたたかさも、忘れがたく記憶に刻まれている。
 それまでやったことのなかったことをプレーパークでたくさん体験した。お手製のウォータースライダー、竹筒を使ったそうめん流し、パン作り、草木染め、ホットサンド作り、フィンガーペインティング。一見どんな風にやるのだろう、と思うようなことも、材料を揃えてちょっと工夫してみたら、意外と簡単にできるものなのだ。そして、実際に手を動かしてやってみるといろんな発見がある。プレーパークでの活動を始めて、自分はもっと「体験」をしたがっているんだなと思った。こんな風にものを作ることを、身の回りのものを使って実験してみたり、頭の中にあるアイディアを形にしてみることを。いろんな状況や場面に身を置き、遊んだり、食べたり、笑ったり、走ったりしながら、生きているということの中にある本質をつかむこと。もっともっと、いろんなことを体験してみたいという思いが、ここにいると自分の内側から溢れてくることに気づいた。
 裸足で草の上に立ち、微風を肌に受ける。遠くを見渡せば、住宅地の向こうに都心のビル群が見える。数ヶ月前までは、朝は電車に乗ってオフィスに向かい、作業が遅くなった晩は深夜タクシーで家まで戻る毎日だった。いま身を置いている場所が、それまでの生活とはいわば正反対の場所であることに、その転換具合に我ながらあきれてしまう。この転換は、一種の反動なのかもしれないなと思う。無意識的に、それまでの生活に極端に欠けていた要素を埋め合わせようとしているのかもしれない。このギャップをおもしろがっている自分もいるけれど、あたらしい環境と、それまでの自分とのズレに戸惑ってもいる。それでも、ベッドの中で一日を振り返る時、今日もたくさん心が動いたなと感じることができたし、数ヶ月前よりも自分の細胞が生きて呼吸しているように感じられたので、これでいいのかなと思った。

 プレーリーダーの役割は僕自身最初はよくわからず、プレーパークの現場に立って子どもたちを見守る人、くらいに考えていたのだけれど、実際にやっていくうちにだんだんその役割がわかってきた。プレーリーダーは、子どもたちがやりたい遊びをサポートする、ある程度経験を重ねて知恵を身につけた大人、というイメージ。現場に立つ時、初めて来た子にも自分の名前がわかるように、呼んでもらいたい名前を書いて胸に貼っておく。自分の名でもいいし、あだ名でもいい、なるべく親しみやすい名前にする。プレーパークにやって来た何人かの子どもたちに「先生」と呼ばれたことがあったけれど、プレーリーダーは先生とは違う。「こういうことをやってみたいんだけど」という子どもの相談を受けた時にはいっしょになって考え、ちょっとしたアドバイスをしたり、いっしょに子どもたちと遊んだりもする。子どもたちとの関係性はあくまで対等だ。そして、必要以上に手助けをしない。遊びの主体はあくまで子どもたち。怪我をした子どもの救護をしたり、プレーパークを訪れた人たちにプレーパークについての説明をしたり、より創造的な遊びが生まれるための仕掛けをしたりするのも、プレーリーダーの仕事。子どもたちが木に登ったり、火を使ったりする場面ではプレーリーダーが立ち会い、または見守りながら、安全な環境が保たれているかを確認する。朝から夕方まで野外で身体を動かしながら子どもたちと遊び、他のプレーリーダーたちと一日の反省をして帰る頃には、身体がくたくたになっている。

 あたらしい環境で求められることをひとつひとつクリアしていくことは、僕にとって挑戦の連続でもあった。それは例えば、相手との対話。いろんな個性が集まるプレーパークで目の前にいる人と向き合っている時、ただ話しているだけではなく、どれだけ通じ合えるか、ということを考えた。とにかく年齢も、好きなことも、嫌いなことも、いま考えていることも、その表現の仕方もみんなそれぞれ全く違うのだ。子どもたちと話すのは楽しかったし、彼らとのコミュニケーションに苦手意識があったわけではないけれど、時々相手が言っていることをちゃんと受けとめられていないなと感じたり、自分の言葉が相手に届いていないなと感じることがあった。そんな時、相手とちゃんとやりとりをしたい、もっと通じ合いたいという思いがふつふつと沸いてきた。こんな感情を抱いたのは久しぶりだった。大学生活では本を読んだり映画を観たり、また創作に打ち込んだり、どちらかというと一人で過ごすことが多く、目の前にいる相手と通じ合う、という感覚からしばらく離れていた。だからいきなり飛び込んでしまった場所で、目の前で展開されていく状況に初めの頃は途方に暮れてしまうことも多かった。相手とどんな風に話したらいいのかわからない。そんな時、他のプレーリーダーたちやサポーターであるお母さんたちを見て学ぶことが多かった。生きた会話は、話す内容も大事だけれど、呼吸やテンポが大事。いつか、一人のプレーリーダーと子どもの会話を聞いていて、これはCall & Responseだ、と思ったことがあった。まずは一方が言葉をかける。相手はそれに返す。キャッチボールをするように、リズムにのって言葉を互いに投げ合う。心をオープンにして、相手の話をちゃんと聴き、それに対して言葉を返す。言うのは簡単だけれど、これは実際に相手と言葉を交わす中で体得するしかないものだ。
 プレーパークにあるのはいつも、生身の人間同士のやりとり。子どもたちはありのままの感情をまっすぐこちらに向けてくる。だからこちらも負けじとその感情を受けとめ、応えようとする。しっかり気を入れておかないと、相手のエネルギーを受けて、返すことができない。たくさん心を使う仕事だと思った。でも、互いに挨拶を交わしたり、腹の底から笑ったり、声を出したりするのはとても気持ちがよかったし、そのようなプロセスの中で僕は自分自身を回復しているように感じた。
 一方で、常に感情が動かされる現場にあって、うねる感情をコントロールするのが難しく、メーターが振り切れたように感じることもあった。感情に自分自身が支配されそうになった時、気持ちを立て直そうとするけれどなかなか思うようにいかない。そういう時は視界が狭くなり、肩に力が入り、思うように動けなくなる。自分でテーマとして定め、目標にしていることにも追いつかなくて、落ち込むこともあった。ある日、他のプレーリーダーとのやりとりや子どもたちとのコミュニケーションがうまくいかず、悶々とした気持ちで作業していると、お母さんの一人が声をかけてくれた。「元気?作業、どんな感じ?」その時僕は、壊れていた遊具を修繕していた。「手伝うよ」と言って、彼女は並んで僕の作業に加勢してくれる。
 手を動かしながら、いろんな話をする。昨日は家でこんなことがあった、あんなことがあった。「もう本当に大変なの!」と明るく彼女は話す。でも、元気で楽しそうに振る舞っているせいか、そんなに大変そうに見えない。お母さんって強いんだな、と思う。同時に、みんないろんなことを抱えながら生きているんだな、とあらためて思う。会話の中で、僕は胸の内のモヤモヤを話してみる。こういう風にやりたいんだけど、なかなかうまくいかないんです、と。すると、「最初からうまくできる人なんていないから。大丈夫だよ」と励まされる。そして、ここをこんな風に変えてみたらどう?という具体的なアドバイスをくれる。正論を導き出すだけなら、一人で理屈を順に追っていけば辿り着くだろう。でも心は揺れ動くし、どうしても不安が拭えない時がある。そんな時に、人生の辛苦や喜怒哀楽を噛み締めてきた人が話を聞いてくれ、大丈夫だと心を込めて言ってくれるだけで、一瞬にして心を覆う暗い靄が吹き飛ぶ。あぁ、そういうものかな、やっぱりそうだよなと、胸をなでおろすことができる。僕は目の前にいる彼女の存在を、こんな風に話ができるつながりを、とてもありがたく思った。

 振り返れば、いろんな情景が蘇る。僕にとってここで過ごした時間は、眠っていた五感を目醒めさせ、それを研ぎ澄ますための期間だったのかもしれないとも思う。最近までよちよち歩きをしていた女の子が、力強い足どりで枯葉の上を裸足で歩いていく姿を見た。自分の知覚を押し拡げるように、一人の女の子がひとつひとつ言葉を発していく瞬間に立ち会った。雨の日は、冷たい雫を全身にしたたらせながらタープ(雨を防ぐための広いシート)を張った。雲行きや風向きを見て、雨が降りそうな時にタープを張るのはちょっとしたキャンプみたいで、自然の中で生きる知恵を学んでいるようでおもしろかった。寒い雨の日、ふだんは仲間と駆け回っている少年の、タープの下で燃える火を一人じっと見つめている神妙な横顔を垣間見た。自分で火を起こしたり、火を囲みながらみんなでシチューを作ったりした日は、煙の匂いが全身に染みついた。帰りの電車の中で、煙の匂いがするパーカーに身を包んだままうとうとした。小学生たちといっしょに、本気で走って鬼ごっこをしている時にダイナミックに流れていった公園の景色、草原でつまずいて転んで見上げた空の色。急ぎ足で通り過ぎてしまえば出会えなかったであろういくつもの輝く破片が、一瞬ごとにあらゆる感覚に刺さっては、この身体を通っていった。

 人は、生まれ育った環境にあったものを求めてしまう生き物なのだろうか。そこにあることが当たり前だったものが、なくなってはじめて意識にのぼるようになり、あとになってそれがどれほど大切な存在だったかを知る。そしていま身を置いている環境でそれを探し求めるようになる。同じものが手に入らなくても、それに通ずるものに心惹かれ、追いかけていることに気づく。それがそばにないとなんとなく心が落ち着かず、腰を据えて何かに取り組むことができない。東京で暮らすあいだに僕は何度か引越しをし、いろんな場所を訪れたけれど、無意識的に探していた場所は生まれ育った場所に近い環境だったように思う。自然が身近にあり、まちをいろんな人たちが行き交う。互いの存在を必要とし、支え合い、ありのままの自分でいられるコミュニティーがある。そこにいる自分が、いちばん自然体。必要以上に何かを求めることもなく、満たされている。石神井のまちとプレーパークは、僕にとってそういう場所だった。そのような土台があってはじめて、日々の仕事やものづくりに取り組める。しかしそれだけのことに気がつくまでに、僕は繰り返し繰り返し迷い、何度も遠回りをした。たくさんの決心をしなければならなかったし、息がつまる思いもたくさん経験した。失敗も間違いも、悔しいほど繰り返した。でもそのプロセスをくぐり抜けることでしか、自分にとってほんとうに意味のあることや、必要なことを見極めることはできなかったのかもしれない。

 当時の手帖をパラパラとめくっていたら目にとまった言葉がある。「命ならざるものは拒んだ」。“Dead Poets Society” という映画に出てくるフレーズだ。僕は同居していた友人と二人でその映画を観て、印象に残った言葉としてそれを手帖に書き残していた。この言葉は、アメリカの作家ソローが『ウォールデン 森の生活』という本の中で語っている言葉なのだそうだ。
 「私は静かに生きるため森に入った。人生の真髄を吸収するため。命ならざるものは拒んだ。死ぬときに悔いのないよう生きるため。」
 思えば僕のその頃の日々は、命あるものと、命ならざるものを峻別していく瞬間の連続だった。日々の生活の中に、「命ならざるもの」は思わぬ形で忍び寄ってくる。それは目に見える具体的な形をとっていることもあれば、目には見えず、判別しにくいものもある。華やかに見えるものの中を覗いてみたら何も入っていなかったり、冷静になって俯瞰してみれば実体がないとわかるものを延々と追いかけていたりする。
 命ならざるものは、人の心に端を発しているようにも思える。怠惰や、凝り固まった考えや、諦めや、寛容さをなくした心に。それを拒もうとしても、恐れや欲望、損得勘定に惑わされ、目の前の選択に揺れ、心のどこかで抵抗していても自分に言い訳をして進んだ道の先で沼にはまってしまう。そこは虚ろな場所で、底がない。無気力さが心を巣喰い、細胞が死んでいくのがわかる。それは日常の中に隠された落とし穴だ。そこに入ってしまえば闇に閉ざされ、暗い夜の底に吸い込まれそうになる。いやだ、僕はそこに行きたくない。ここにとどまっていてはダメだと頭ではわかっているのに、心は虚ろで、足取りも覚束ない。そんな時、救ってくれるのは誰かの存在と、その人のあたたかいハートだ。

 「これ、食べて。」と袋を手渡される。開けてみると、中にはジップロックに入った白ご飯と、サンドイッチが入っている。彼女はパン屋さんで働いている先輩だ。僕の初めてのアルバイトの日、お店に置いてあるパンの種類や仕事の手順を教えてくれ、石神井のまちを案内してくれた。パン屋さんの他にもいくつかの仕事を掛け持ちしているそうで、子ども食堂でボランティアの活動もしている。僕がアルバイトをやめた後も時々連絡をくれ、いつも気にかけてくれた。たまに近所のスーパーで顔を合わせることもあった。住んでいるまちに、いつも自分のことを応援してくれる、お姉さんのような人がいることが心強かった。その日は久しぶりにまちのカフェで会い、互いの近況を話した。「わたし最近お寿司屋さんで働き始めたんだけど、酢飯がたくさん余った日は持たせてもらえるんだ。でも一人じゃこんなに食べ切れないから。そのサンドイッチは、いまパン屋さんで出している新作だよ」
 話を聞いていると、彼女も決して器用な人ではない。まわりの人たちとぶつかったり、仕事の中でいろいろつまずくこともあるそうだ。でも、彼女はいつも目の前にいる人をよろこばせようとする。そしてそのことで何か見返りを求めたりしない。「わたしお節介なんだよね。言わなくていいこと言ってしまったり、やらなくていいことやってしまったりするみたいで」と言って笑う。でもその「お節介」に、僕はどれだけ救われたかわからない。「それ食べて、元気出して。」彼女のいつもの笑顔を見ていたら、暗いところを彷徨っていた心がいつの間にか自分の元へ戻ってきて、しゃんとしている。また前を向いてがんばろうという気持ちになっている。
 彼女に手を振って別れ、踏切を渡って家へと歩く。酢飯とサンドイッチの入った袋が、右手にずっしりと重い。その重さがうれしかった。人の思いがこもったものには、それだけの重さと温度がある。命あるもの。部屋に戻り、彼女にもらった酢飯を食べていたら、身体の底から活力が湧いてくる気がした。