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2018-10-13

Letter 05 川とともに歩く 花巻訪問記

 秋の初め、またひとつ、憧れの場所を訪ねることができました。その場所は岩手・花巻。たくさんの詩や童話を残してこの世を去った、宮沢賢治の故郷です。彼によってイーハトーヴという異名を授けられたこの場所には、どことなくファンタジックなイメージを抱いていました。実際に訪れてみると、そこには豊かな田園風景が広がり、賢治さんや彼の作品を感じさせるものが町のそこここにあり、土地のいたるところに彼の足跡を見る思いでした。滞在のあいだ、子どもの頃に彼がお父さんに連れられて訪れたという温泉旅館に泊まりながら、彼の生涯を辿る記念館を見てまわったり、ゆかりのある土地を歩いてみたりしました。そしてほんの少し、その生涯において彼が為そうとしたこと、彼の願いのようなものを垣間見られた気がしました。
 しかし、旅を終えて家に帰り着き、彼の詩集や童話集をまた開いてみると、その精神世界の深遠さにあらためて驚き、その生涯の中で彼は一体何を見、そして何を僕たちに伝えようとしているのか、もっともっと知りたくなるのでした。

――
 八月の最終日。今日は花巻を歩く。天候は曇り。小雨がパラパラと降ったりやんだりしている。長い距離を歩くだろうし、急に天候が崩れるかもしれないので、そのつもりでゴム長靴を履き、レインコートも羽織って花巻駅に出た。
 林風舎に立ち寄ってコーヒーをいただいた後、花巻の土地に繰り出す。iPhoneで地図を開き、川の方角へ。花巻市のほぼ中央を南北に流れる北上川。北は盛岡を通りさらに北部の岩手町に源を発し、南は北上、奥州、一関を通って宮城・石巻の湾に注ぐ。花巻ではこの川に沿って、川とともに歩いてみたかった。
 林風舎から花巻城跡を通って東にまっすぐ進むと、北上川の本流に行き当たる。前日にたくさん雨が降ったせいか、川は濁っていて、水の流れが速い。遥かむかしからこの地とともにある大河は、今日もたくさんの水を力強く運びながら滔々と流れている。ここから、「羅須地人協会」を目指して北上していく。自転車に乗って通りがかったおじさんに、協会まで歩いてどのくらいかかるか尋ねてみる。「え、歩いて行くの。けっこうかかるよ。二時間くらいはかかるんでねぇの」土地の人の言葉に触れ、この土地をより身近に感じる。「わかりました。とにかく歩いてみます、ありがとうございます」時計を見ると十二時を少し過ぎたところ。太陽が天高く昇っている。気温が上がってきたのでレインコートを脱ぎ、川の上流へと歩き始めた。

 羅須地人協会というのは、ここ花巻の地に生まれた宮沢賢治が、自炊しながら執筆活動を行ったり、土地の人たちに農業指導のための講座を開設したり、青年たちを集めてレコード鑑賞会や合奏練習などを行ったりした場所。花巻農業高校の敷地内にあると言う。地図を開いてみれば、たしかに学校の敷地と隣り合せになっていて、その横を北上川が流れている。そしてそのすぐ西の方角には花巻空港がある。いま立っている地点からそこまで、川はまっすぐ伸びているわけではなく東に大きく蛇行しているけれど、川に沿って歩いていけばそこに辿り着くはず。北上川の上空を、鳥たちが風に身をあずけるようにして飛んでいく。その心地よさそうな飛行を地面に立って見上げながら、川を横手に歩いていく。
 しばらく歩くと、「イギリス海岸」と呼ばれる地点に着く。ここは賢治さんが農学校で教師をしていた頃、生徒を連れて訪れた場所なのだそうだ。水が引いて、川底の泥岩層が現れた時の姿が「全くもうイギリスあたりの白亜の海岸を歩いてゐるやうな気がする」と作品の中でも書いているように、憧れを込めて自ら命名した場所だそう。僕は畑山博さんの『教師宮沢賢治のしごと』という本の中で、「イギリス海岸」のことと、賢治さんがそこで行った実習について知った。いまはダムができて川の水位が上がり、泥岩層を見ることはできないようだ。かつて夏の日にこの川で泳いだ子どもたちと教師、そして大気に晒された川底の岩層を見ながら、空想の中でイギリスの海岸やイタリアのポンペイの景色と重ねた詩人を思う。
 またしばらく歩いていくと、道は川から外れ、川は両岸に生い茂る薮とともに東に大きく弧を描きながら流れていく。そちらの方は歩道もなく歩けそうにないので、仕方なく川から離れて舗装された道路を歩く。速度を上げた乗用車やトラックが轟音とともに走り抜けていく。先の方には高速道路が地上から離れ、ちがう階層へと移行していくように伸びている。
 広大な土地。田と畑が延々と続き、その脇に人家が並ぶ。時々現れる小屋や納屋は、その屋根の形が独特。二つの面をもつ屋根が両面とも途中で折れ曲がり、下の方にいくにつれてその勾配が急になっている(あとで調べてみたら、このような作りの屋根をギャンブレル屋根と呼ぶらしい)。そのため建物が全体的に丸みを帯びているように見え、僕の目にはその佇まいがとてもチャーミングに映る。どこかしら異国風でさえある。実際この屋根の発祥はヨーロッパなのだそう。
 視界を遮るものがなく、平野がどこまでも続いている土地の空は広い。乳白色の雲に覆われた空の下をただ、黙々と歩いていく。
 平野の中に、ぽつんと森が現れる。森と言っても大きくて深い森ではなく、いくつかの木々がある地点に固まって直立しているような場所。その小さな森の中に入ると薄暗くてしんとしている。鳥居が立っていて、その空間は小さな神社の境内のよう。しっとりと湿った土の上には小石と杉の枯葉が散らばり、萌黄色の小さな芽が地面に顔を出している。背の高い杉は地中に力強く根を下ろしている。
 その小さな森から抜け出て、一面田んぼが広がる中をまたしばらく歩くと、ふたたび小さな森が現れる。そこにも鳥居があり、その左横には大小さまざまな形の岩が並べられ、文字が刻まれている。鳥海山という山の名前、それから観世音という仏教の言葉。右横には石碑が立ち並んでいる。
 空腹を覚えて腕時計に目をやると、針は二時を指している。朝食はしっかり摂ったのに、たくさん歩いたせいかひどく腹が減っている。境内の一角にある平たい岩の上に腰掛け、ウェストポーチの中からコンビニで買っておいたコロッケパンとカレーパンを取り出して頬張る。
 静かな風の音と虫の声、ポツポツと降る雨の音。辺りを見渡すと、木々と、祠と、岩。それらがひとところに集まっている。そうか、これらは古来この地で暮らしてきた人たちが信仰してきた神様たちだ。かつて日本人は、自然のあらゆるものに神が宿ると信じていた。ここは守られた土地、そんな印象を受ける。平野の中に突然現れる小さな森――歩きながら、そういうスポットをいくつも見つけた。この森はもしかしたら、この土地に生きてきた人たちが大事に残してきた場所なのかもしれないな、と思う。
 水筒の水を飲み、呼吸を整えてまた歩き始める。田んぼが広がる土地を、しばらく北の方角に道なりにまっすぐ歩いていく。ここから東の方角に行けば、また川に出るはずだ。ちょっとまた川のそばに行ってみよう。林を抜け、人家を通り抜けると畑が広がっている。青々としたネギが並んでいる畑の上に立って作業している人。彼以外に人の姿は見えない。畑を通り抜けると藪が茂っていて、その向こうは北上川だ。水の流れが見えるところまで歩いて行き、そこに腰を下ろす。川の音が耳に迫る。眠気を覚えてきたので時計をはずしてウェストポーチの上に置き、目を閉じた。

 ふたたび目を開けた時、一瞬どこにいるのかわからなくなる。時間と空間の感覚がおぼろげで頭がはたらかない。ただ、視界にくっきりと川の流れが浮かび上がり、その色合いが一層鮮やかに感じられる。空気が少しだけつめたくなったようだ。ここに来れてよかった。ふと、そう思う。いま川のそばにいることを思い、聞こえてくる川の音を、この空気とともに少しでもこの身体の内にとどめておこうとする。
 どのくらいの時間が経っただろうか。じんわりと汗で濡れたシャツが冷え、肌寒く感じる。レインコートを着て立ち上がり、また歩き始める。西の方角に戻りつつ、北に進んでいくと、大きな碁盤の目のように田んぼが広がる区域に出る。それぞれの区画に、まだ青い穂がぎっしりと詰まっている。視界の端には青い稜線。空を見上げると雲が不思議な色を湛えて流れていく。光をその内にとどめ、白く透き通る空。この土地に生まれ、この土地を歩きながら、彼は何を見たのだろう。何をその身に感じとめたのだろう。彼が書き残した詩には、まるでこの土地に生きるものたちと交感しているかのような言葉がほとばしる。きっと彼自身も自我を超えて、その身体を限りなく透明にしたにちがいない。そしてこの地に宿る人ならざるものたちは、彼を媒介にしてその息吹を言葉に変換させ、紙の上に書き起こさせた。呼応しあう魂。自然と人間との、神秘的な共同作業。彼はこの土地に生きるものたちをよく観、聞こえてくる声に耳を澄まし、すべてのいのちに宿るエネルギーを身体中に感じて何時もそれらとともにあったのだろう。
 
 一面に広がる田んぼの区画を抜けるとふたたび川に出る。この地点ではさらに川幅が広くなったように感じる。地図を開くと、もう目的地はすぐそばだ。
 両岸を生い茂る緑に覆われながら、そこをゆったりと流れていく川の様子を見ていて、大学生の頃アメリカをバスで移動している時に見たミシシッピ川を思い出した。広くて大きな川。大地と、人々の暮らしとともにある川。この日は北上川の水が濁っていたからかもしれない、川のイメージはそれぞれまったく別のものなのに、目の前の景色が遠い記憶の風景につながる。

 羅須地人協会に辿り着いた時、時計の針は四時を回っていた。地図で見た通り、その手前には花巻農業高校の正門があり、制服を着た高校生たちの姿が見える。そしてその奥にある協会も、農業高校の敷地内、とある。高校の正門を通り過ぎ、ひとつ道路を隔てた場所に、竹の柵で囲まれた敷地がある。そこに足を踏み入れると、右手の奥に茶色の建物が見える。写真で見ていた協会の建物だ。ここも学校の敷地というのはどういうわけなのか、そのいきさつは入り口付近にある案内板に書いてあった。

「復元 賢治先生の家 花巻農学校精神歌の碑
 賢治先生の家は、もと花巻町下根子桜(今の花巻市桜町)に、先生の祖父宮沢喜助翁隠居所として建てられたものであります。
 大正十五年に花巻農学校(今の花巻農業高等学校)を退職された宮沢賢治先生は、この家に『羅須地人協会』を設立、近隣の若い人たちや農村の人たちの教育の場とし、また多くの詩を書き、農耕にしたがい、自炊生活をして農村のため、捨身の猛運動をはじめたのでした。
 そのために病気になり、とうとう三十七歳の若さで、先生は昭和八年九月二十一日豊沢町の自宅で逝去されました。生涯独身でした。
 昭和十一年桜の地に『雨ニモマケズ』の碑を建てるとき、この家は宮野目村の農家の人に譲られました。ところが、このたび花巻農業高等学校が、現在の地に新築されることになりましたら、驚いたことに、この賢治先生のゆかりの深い家が、一部分は直されたところもありましたが、大体昔のままの造りで学校の構内になる場所に健在だったのでありました。
 なんという不思議なめぐりあわせでしょう。同窓会に学校も協力、一同で熱心に復元にあたり、ここに賢治先生の住まれたなつかしい家が姿を現しました。そのうえそばの松の木の下、花に囲まれた庭園の一角に『花巻農学校精神歌』の碑も建てられ、ほんとうに、みなさんに喜ばれる、すがすがしい気持ちよいところになりました。
 昭和四十四年十一月七日」

 そうか、賢治さんは、この場所では「賢治先生」なんだな。なるほど、彼は教師だったんだもんな、この学校の。文章を読みながら感慨に浸っていると、向こうから「こんにちはー!」と元気な声が聞こえる。振り向くと、制服を着た男子生徒たち。僕も「こんにちは」と挨拶を返す。見知らぬ観光客に挨拶なんて、えらいなぁと感心しながら案内板の説明に戻る。この文章を書いた方も、賢治さんのことを心から敬愛しているのであろうことが伝わってきて感動する。まだ最後まで読み終わらないうちに、「こんにちは!」とまた明るい声。振り返ると、今度は女子生徒。「こんにちは」と僕も返す。それから、来る生徒、来る生徒、次から次に「こんにちは」の嵐。通りがかる生徒たちみんなに気持ちのよい挨拶をもらい、感激したまま羅須地人協会の建物へ。
 入り口には復元された、「下ノ畑ニ居リマス」という賢治さんの手書き文字。玄関から入って右手の部屋には椅子が並べられ、壁には黒板がある。窓際にはオルガンが置かれている。ここで講座を行ったのだろうか。まだ若く、希望に燃えた青年たちが、それぞれの理想を胸に抱いてこの場所に集ったことを思う。壁に貼られた説明を読むと、以前桜町にあった際には妹のトシさんがここで療養生活を送っており、賢治さんは自宅のあった豊沢町から桜町まで通って看病したそうだ。賢治さんが亡くなった後、この家は人手に渡り、現在の場所に移築された。一方、若葉町から宮野目に移転した農学校の敷地内に、その時住居として使用されていた協会の建物がたまたまあったといういきさつなのだそうだ。かつては桜町の地で、林と畑に囲まれていた家。いま建物の中から窓越しに外を見渡すと、庭園を歩く農業高校の生徒たちの姿が見える。この家も数奇な運命を辿り、花巻の土地を移動してきたのだ。
 玄関の扉を開けると、太鼓の音と、威勢のいい掛け声が響いている。建物の横の敷地で、五、六人の生徒たちが太鼓を担ぎ、その音に合わせて舞を踊っている。その華麗な動きに、しばし見入ってしまう。みな学校の名前が入った体操服を着ているから、これは部活動なのだろうか。そばにいる一人の生徒が、わたしたちは「鹿踊り(ししおどり)部」なんです、とおしえてくれた。ちょうど明日ステージに立つので、その練習をしているのだそうだ。これが岩手の伝統芸能、鹿踊りなのか。まさかここで見られるとは思わなかった。明日のステージ、何時から?どこでやるの?と訊いてみると、「ちょっと待っててください」と言って、部員らしい女の子が建物の中に入り、スケジュール表を持ってきてくれる。(その建物は地人会館といって、生徒の活動の場として使われているのだそう。)紙には「市民憲章運動推進第53回全国大会花巻大会 オープニングアトラクション出演日程」と書いてあり、会場と当日のタイムスケジュールが載っている。午前中のリハーサルの後、12時半から20分間の演舞、とある。明日は昼から西和賀で開催される演劇祭に行く予定なのだけれど、彼らの演舞を見てみたいと思った。時間をやりくりすればなんとか間に合うだろうか。まだしばらくのあいだ彼らが踊っている姿を見たり、話をしたりしていたかったけれど、時計を見ると帰りの電車の時間が迫っている。もう行かなきゃと慌てると、二人の女の子たちが門の外まで出て最寄り駅までの行き方をおしえてくれた。駅へ急ぎながら、生徒たちの素直さと親切さ、この場所での思いがけない出会いを嬉しく思った。

 翌日。花巻市文化会館の客席に座って、彼らの演舞を見た。昨日羅須地人協会の横で見たあどけない笑顔とはうって変わり、ステージの上に立つ彼ら、彼女らのまわりには張りつめた空気が漂い、客席にいてもその気迫が伝わってくる。その眼差しとしなやかな身体の動きは神聖ささえ感じさせる。賢治さんが書いた詩の言葉が、彼らの舞によって呼び起こされ、この場に立ち上がってくるようだ。

 こんや銀河と森とのまつり
 准平原の天末線に
 さらにも強く鼓を鳴らし
 うす月の雲をどよませ
   Ho! Ho! Ho!

   dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

 打つも果てるも火花のいのち

   dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

 打つも果てるもひとつのいのち

   dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah

 息をつめる。自身の先をじっと見つめ、ふっと視線をはずす。呼吸を合わせ、足並みを揃えて地を踏み、宙を飛ぶ。空間と空間のあいだを渡り、そしてあらたな空間をつくり出す。太鼓の音が、身体の奥にうごめく野生の火を呼び覚ます。言葉は声とともに謠になって流れ出し、先人たちの紡いできた物語をふたたび揺り起こす――。

 賢治さんが掲げた夢や理想は、今日を生きる若いいのちに引き継がれ、その身体の中にいまも息づいている。ステージの上で躍動する彼らがそのことを全身で伝えてくれている。賢治さん、うれしかろう。心の中で彼らに喝采を送りながら会場を後にした。