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2018-05-17

Letter 03 過去に通じる土地 ばあちゃんの写真

 四月、故郷に戻り日々を過ごした。
 生まれ育った土地で過ごす時間は、現在そこから遠く離れた場所で生活していると特別なものになる。中でも、ばあちゃん家で過ごすのと、鹿児島市近郊にある父と母が暮らす家で過ごすのとはまったく趣がちがう。両親がいま暮らしている家は、生まれてから高校生活を終えるまで僕もそこで生活していた家だから、帰るともちろんほっとするし懐かしさも感じるのだけれど、ばあちゃん家で過ごしている時に感じる懐かしさや感慨深さのようなものはそれとはちがうものだ。

 ばあちゃんが暮らしているのは大隅半島にある山間の集落。鹿児島市の自宅から車で高速道路を走って向かっても、一時間四〇分ほどかかる。向かう途中、車の窓からは、作物が植えられている開けた土地や、鬱蒼と茂る照葉樹林、高く群がる杉林、巨大な工場、農場、大型のホームセンター、個人商店などが見える。道幅の広い国道をずっと道なりに走っていくのだが、目印のあるポイントで右折し、傾斜のある道をのぼり、丘を越える。ばあちゃん家はそこを少し下ったところにある。山に挟まれ谷のようになっている土地に田畑が広がり、その脇を水路がはしっている。家は田畑を見下ろす場所にあり、裏は土手に面していてその向こうには樹々が生い茂っている。複数にわたり改築、改装されているが、土台や柱はそのままの、先代から暮らす築百年を超える古い家だ。
 僕はこの土地で過ごすのが好きだ。そしてばあちゃん家で過ごす時間が好きだ。時間の流れ方や場の空気が他とはちがう。子どもの頃からなんとなくそのことを感じとっていた。夏休みや冬休みに弟たちとばあちゃん家に行くのを楽しみにしていたし、大学に入学し、東京で暮らすようになってからもその感覚に触れたくて鹿児島に帰る度にばあちゃん家まで足を伸ばしていた。
 ばあちゃん家で過ごすのが楽しみな理由は、彼女の人柄によるところも大きい。今年八一歳になるばあちゃんは、とても明るい。身の回りの細かいことはあまり気にせず、家の中はいつもきれいに整理整頓されているわけではないが、性格が朗らかでからっとしている。集落には友人が多く、人が家に訪ねてきて縁側で話をしたり、よく笑いながら電話で話したりしている。ビーズ細工などの手芸、短歌、園芸、旅行など趣味が多く、いつも忙しそうだ。しかし、いまでこそ自由な生活を楽しんでいるばあちゃんだが、早くに夫(僕の祖父)をなくし、いまのような生活になる前は身体が不自由になった義母をずっと介護していた。子どもの頃からそんなばあちゃんの姿を見ていたが、まったく辛そうには見えなかった。むしろ当たり前のことのように淡々と、そして情をもって曽祖母に接している姿が子ども心に印象的だった。曽祖母が亡くなってからは一人でこの家に住み、講座に通って作ったビーズ細工や、会えばかならず撮っていた親族の写真を家中に飾っていた。

 そんなばあちゃんが、昨年十二月に交通事故を起こした。アクセルとブレーキのペダルを踏み間違えて、電信柱に衝突したのだ。幸い自損事故で、車には誰も乗せていなかった。一時意識を失ったものの、ドアから這い出ることができ、そこから近くにあった知り合いの人の家まで歩いて行って助けを求めたのだそうだ。両目が腫れて顔にあざができたばあちゃんを見てその家の人は救急の連絡をしてくれ、間も無くドクターヘリが到着してばあちゃんは鹿児島市の病院に運ばれた。命はとりとめたが、鼻や肋骨や左手を骨折していたらしく、三ヶ月のあいだ母の勤める病院に入院することになった。母は看護師として働いているので、勤め先の病院でばあちゃんの面倒を見ることができた。ばあちゃんにとっては、入院中、自分の娘が近くにいてくれて心強かったということだ。
 三月、リハビリを終えてばあちゃんは退院した。しかし以前より歩く力が衰え、身の回りのことも思うようにできなくなっていた。退院したばかりの彼女を一人、山間の家での生活に戻すのは本人も周りも心配というわけで、僕がばあちゃん家にしばらく滞在しながら身の回りの世話をすることになった。僕としてもしばらく東京を離れ、静かなところでものを考えたいと思っていた時だったのでちょうどいいと思った。空港に着いて、いつもは鹿児島市内へ向かうところを、今回は直接大隅へと向かった。

 山に吹く四月初めの風はひんやりとしている。まだ水が張られていない田んぼ一面に明るい紫色のレンゲが咲いている。床の高い玄関を上がり、中に入って荷物を下ろす。この家の匂いがする。畳の上を歩いて奥の仏壇の前へ行き、手を合わせる。しばらく縁側に座って窓から入ってくる風に吹かれていると、帰ってきたなと思った。ばあちゃんは冬に病院で会った時よりも顔色が良くなっているようだった。左の頬にできていたあざも消えていた。ただ以前より動作がゆっくりになり、話しかけるにも意識的にゆっくり話さないと聞き取りづらいようだった。
 スーパーで買ってきた食材を冷蔵庫に詰め込む。肉や魚、野菜、豆腐、牛乳、冷凍されたおかず、果物。以前はばあちゃんもこの土地で米や野菜を育てていたが、数年前に米づくりをやめ、いまは自分が食べる分と家族に分け与える分の野菜をつくるだけになっていた。山に囲まれたこの集落に商店はなく、もちろんATMやガソリンスタンドや食堂など、現代の生活に必要な施設は何もない。食材を手に入れるには丘をのぼり下りして国道まで出て、そこからしばらく車を走らせたところにあるスーパーまで行かなければならない。とても歩いて行って戻ってこれる距離ではない。事故によって車の前方はぺしゃんこに潰れ、ばあちゃんは免許を返納した。車が運転できなくなったことは少なからず彼女をがっかりさせ、これからこの場所で生活していけるだろうかと不安を抱かせたようだ。集落の集まりにも、何もできず迷惑がかかるからと参加せず、楽しみにしていた短歌会ももう通うのをやめると言う。いままでずっと自分で車を運転して食材を買いに行ったり、町に出掛けて行って用を済ませていたが、車がなければここでの生活は成り立たないということを、それが使えなくなって改めて思い知らされる。車が運転できなくなると活動圏が極端に狭くなる。そのことは彼女の活力を少なからず奪ってしまいそうに思えた。

 ここにいるあいだの僕の一つの務めは食事をつくること。電灯を点けても少し薄暗い台所に立ち、今晩のおかずを作る。肉野菜炒め、和え物、冷奴、味噌汁。できたおかずを食卓に並べ、二人で食べる。僕が食べる量に比べるとばあちゃんはほんのわずかな量しか食べないが、おいしいと言って食べてくれる。テレビの向こうではクラッシック・コンサートをやっている。東京の部屋にはテレビがなかったから、テレビを見るのは久しぶりだ。食卓にオーケストラの音楽が流れる。
「あの楽器の中で、ばあちゃんはどの楽器をやってみたい?」
「楽器ね、そうねぇ。あの楽器は何ていうのけ?」
画面には金管楽器のセクションが映っている。口を大きく膨らませて、タキシード姿の男性が楽器に息を吹き込んでいる。
「チューバ。チューバはちょっと大変そうだね」
そうよねぇ、と笑う。「あれはバイオリンっていうんだよね」
「よく知ってるじゃん。バイオリンだったらできるかな?」
「うん、あれならわたしでもできるかも。はら、西郷どんは何時からけぇ?今日は日曜日だよね」
「西郷どんはもう終わってるよ。もう九時が回ってる」
「あら、そうね」と、時計を見上げる。ばあちゃんは時計を見て、あと何分で何時になるとか、約束の時間に目的地に到着するには何時に家を出たらいいかなどといった時刻の計算をするのが、ここ最近めっぽう苦手になったようだった。
またしばらく二人でぼんやりとテレビの画面を眺める。
コーヒーでも飲もうか、と僕は台所に立ち、湯を沸かす。
「牛乳と砂糖入れる?」と訊くと、
「いや、ブラックで大丈夫です。わたしは昔からコーヒーはブラック」
へぇ、と笑うと、
「コーヒーは昔から大人の仲間入りをしていたんだ」と返される。
 そんな他愛のない会話を交わしながら、カップに淹れたインスタントコーヒーを飲む。
 ふと、ばあちゃんが呟く。
「わたしはもう生きちょっばっかいや」
 わたしはもう生きているばかりだ。このフレーズを、ばあちゃんは僕が滞在している間に何度も何度も繰り返した。車の運転ができなくなった。頭が覚束なくなって、どこに何を仕舞ったかも覚えていられなくなった。花の手入れも、畑仕事もできなくなった。これでは生きている甲斐がない。俯いてそんなことを言う。以前のばあちゃんならそんなことぜったいに言わなかっただろうに、気持ちが後ろ向きになっている。ばあちゃんらしくない。
「あんなに大きな事故をしたのに、今生きているだけでもすごいと思うよ」
「そうよねぇ。みんなからもそう言ってもらって、その時はあぁそうだなと思うんだけど、昨年の日記を読み返しているとね、朝五時に起きて散歩をしたとか、畑の草取りをしたとか、短歌会に行ったとか書いてあって、そういうことがもうこれからできなくなるのかなと思うと残念でね」
「そうか。そうだよね」と僕は頷く。「でもまたゆっくり、ちょっとずつやりたいことをやっていけばいいじゃない。できると思うよ、ばあちゃんなら」
「そうだねぇ。その通りだね」と言いながら目を伏せる。そしてため息をつく。
「わたしの人生はいったいなんだったんだろう」

 いままでできていたことができなくなる。そのことのショックは大きいだろう。山の中で一人で暮らすことの心細さも、ここで生活をしてみて初めて実感する。これまでの僕のばあちゃん家での滞在は「訪問」でしかなかったが、ここで生活を営もうとすると、単なる訪問とは違う覚悟が必要だ。
 布団の上に横になり天井を見つめる。板が張られた天井は黒く燻されている。昔は床に囲炉裏があって、天井では蚕を飼っていたそうだ。頭の先には仏壇があって、二つの電灯がオレンジ色の光を放っている。この場所で代々暮らしてきた人たちのことを思う。じいちゃんは僕の記憶がちょうど始まる頃に亡くなったから、お葬式の日のことをぼんやりと憶えているだけで、他に思い出がない。直接知ることはない先祖の人たちがたしかにいること。目を閉じてその線を辿っていくと不思議な心持ちになる。

 次の日の朝、ばあちゃんは早くから起きていた。台所の方から聞こえてくる物音で目を覚ます。部屋は明るくなっていて、鳥の鳴く声が聞こえる。時計を見るとまだ六時を回ったばかりだ。重たい瞼をこすって台所に行くと、毎朝作っていたという野菜ジュースの作り方がわからなくなったと言ってあたふたしている。それならいっしょに作ってみようと、台所に並んで立つ。冷蔵庫にあったサラダ菜をちぎってミキサーに入れ、バナナと苺を入れ、牛乳を加える。そこに、ばあちゃんはペットボトルに入っていたリンゴ酢と梅酒、それから透明な液体を入れた。何かと訊くと、「にがり」なんだそうだ。実際にやってみると思い出す。習慣になっていたわけだからきっと身体が憶えているのだ。ミキサーをかけ、コップに移してゴクゴク飲む。フレッシュなジュースを飲んで一日を始める。とても健康的な生活だ。
 朝食をつくって食べ、お茶を飲んだら外に出て活動を始める。太陽はすでに高く昇っている。
 まずは花の植え替え。プランターに植えてあった花は、ばあちゃんが入院しているあいだ水が与えられず、ほとんど枯れてしまっていた。その苗を取り出し、中の土を入れ替え、買ってきておいた新しい苗を植える。赤、白、紫、ピンクと、明るい色の花を植えたプランターが並ぶと玄関先がパッと明るくなった。
 次は畑。家の庭から坂道を下りていったところにある畑に立つ。入院しているあいだ手がかけられず、収穫されずに伸びきっていたほうれん草と小松菜を根から掘り起こし、雑草が伸びていた土を耕す。それだけでもずいぶん時間がかかる。しかし、こうして土を耕していると、ここで土とともに生きてきた人々の心がわかるような気がしてくる。
 ばあちゃんも作業着を着て畑に出てくる。土の上に立って手に鍬を持つと、やっぱり身体が自然に動きだす。ばあちゃんの指示で、土に肥料を撒き、畝をつくり、そこに苗を植えていく。ナスとピーマンを2つずつ、そしてキュウリを4つ。まだ小さい葉が土の上に並んで顔を上げた。外に出て活動すると身体もしゃんとしてくるし、話し方もはっきりと、力強くなるようだ。外でいっしょに作業をしていると、少しずつ、ばあちゃんも活力を取り戻してきたように思った。

 あとの時間は、家の近くを散歩したり、市の送迎サービスを利用して温泉センターに行ったり、昼寝をしたりして過ごした。本を開いて、交互に音読したりもした。宮沢賢治の『やまなし』、『なめとこ山の熊』、太宰治の『走れメロス』を読んだ。「セリヌンティウス」という登場人物の名前がどうしてもうまく言えず、ばあちゃんがつまずく度に僕は笑った。僕自身も本を読もうと何冊か持って行っていたけれど、思いのほかばあちゃんと過ごしているうちにあっという間に時間が過ぎていった。

 ある日の夕方、家の前にある水路を辿って歩いてみた。一方は田んぼが広がる土地のあいだを通る舗装された道に沿って流れていて、いつもはその道をずっと歩いて行き、国道にぶつかる地点で折り返すのだが、今日は逆の方向へと歩いてみようと思い立った。反対の方の道は舗装されておらず、これまで歩いて行ったことがなかった。向こうの方には何があるのだろう?
 脇に草が茂る砂利道を歩く。空気が少しつめたくなり、湿り気を帯びてくる。前方にはずっと奥まで田んぼが続いているのが見える。その田んぼを取り囲むようにして山が連なる。思わずポケットからiPhoneを取り出して地図を開いてみるが、電波が入らず、周囲の地理がどうなっているのかいまひとつ確認できない。ここも地球上の一点。この先に何があるのか、今の時代なら地図を見たらすぐにわかってしまう。でもこの土地に生きる人々がまだ地図を持たなかった時代、この山の向こうに何があるのかは実際に行ってみなければわからなかっただろう。陽が落ちて山が暗くなり始める頃、林の奥から聞こえてくる音や獣らしき物陰に人々は怯えたに違いない。
 道の左手は水路が続き、音を立てて水が流れている。きっと湧き水が豊富な土地なのだ。水はどこから湧いて流れてくるのだろう。陽は沈みかけているが、水が湧き出ているところまで歩いて行きたい衝動に駆られる。じきに空が暗くなり、視界がわるくなっては戻れなくなるから歩けるのはあとわずかだ。もうしばらく先まで歩いて行くと、その水路は山の付け根にぽっかりと開いた洞穴の中へと入っていく。その穴を覗き込むと、水を勢いよく吐き出しているのが見えるが、奥の方は暗くてよく見えない。ひとしきり覗き込んだあと、顔を上げる。今まで幾度となくばあちゃん家を訪れていたが、この地点まで来たのは初めてだ。この土地のことはある程度知っているつもりでいた。でも実際に歩いてみないとわからないことがある。たぶん、まだ知らないことがたくさんあるのだろう。そのことに気がつくと、景色の見え方が変わってくる。辺りを見回すと、山はもくもくと生い茂る照葉樹林で覆われているが、ところどころに杉林のブロックが点在している。杉林の面積がかなり広いところもある。この杉は、原生していた照葉樹林を刈ったあとに植えられた杉だと聞く。いまはコンクリートで舗装されている水路ももとは手つかずの川で、かつては魚や水辺の生物が見られたり、夏には蛍が舞っていたそうだ。その姿も見られなくなり、川で遊ぶ子どもたちもいなくなった。しばらくそこに立って目を閉じると、この地で連綿と続いてきた人々の営みを感じられるような気がした。彼らは何を求めてきたのだろう。日々の暮らしの先に、どんな幸福を夢見たのだろう。すべての営みの因果の先に現在があり、眼前の景色が広がっている。そこにいいも悪いもなく、すべてが現在の形としてあるだけだ。手に入れたものと引きかえに失われたたくさんのもの。一瞬そのことが頭に浮かび、心がいたむ。ばあちゃんがいま一人で暮らしていること。家族が離れて生活していること。減り続ける集落の人口。この状況、目の前の現実。なぜ、と問うてもかんたんに答えは見つからない。自分はどうだ?どこで、何をめあてに何をしようとしている?そんな問いかけを突きつけても途方に暮れてしまう。現在を受けとめること、そこからはじめるしかない。

「ただいま」家に戻ると部屋は暗いままで、ばあちゃんはこたつの前で眠り込んでいる。昼間、外で作業したからくたびれてしまったのだろう。洗面所で手を洗い、夕食の準備に取り掛かる。外で蚊に刺されてしまって足がひどくかゆい。
 二人で夕食を食べ終え、お茶を飲み、しばらく本を読む。一日の疲れがじんわりと身体に広がりはじめ、頭がぼんやりしてくる。
「ねぇ、昔の写真を見せて」本を閉じて僕は言う。ここ数年、じいちゃんやばあちゃんが子どもの頃のことや、当時の暮らしぶり、この土地の歴史に興味をもつようになっていた。ばあちゃん家に行った時には、子どもの頃(だいたい終戦の頃だ)の話や昔の思い出話を聞かせてもらっていた。彼女はどっこらしょと腰を上げ、仏壇の横に並べてあるアルバムを広げて見せてくれた。
 アルバムはぜんぶで二十冊くらいある。写真は、まだデジタルカメラが普及する前の、重たいフィルムカメラで撮ったものだ。僕はばあちゃんやじいちゃんの若い頃や子どもの頃の写真を見たかったが、その時代には家にまだカメラがなかった。写真に写っているのはもっぱら孫である僕たちの子ども時代のものだ。お正月や夏休みなどで家族が集まった時、ばあちゃんはカメラを持ち歩いてよく写真を撮った。最後には決まって全員並んでの写真撮影になった。その時は面倒で、僕たちは「またか」と思うのだけれど、ばあちゃんは「いいからいいから」と言って全員を並ばせる。写真を撮り終えると、よし、と笑ってカメラをケースに仕舞った。後になってこうして写真を眺めると、みんなとてもいい顔をしている。なんというか、自然な表情が捉えられていて、その時々の自分たちのあり方が、そこにきちんと写っている。それはたぶん、ばあちゃんでなければ撮れなかった写真だ。カメラを向けているのがばあちゃんだったからこそ向けられた、家族のありのままの表情だった。そこにばあちゃんは写っていないが、その表情の中に、僕たち一人ひとりとの関係性の中に、ばあちゃんの存在がたしかに感じられる。いつも変わらず、その真ん中にゆったりと存在していると思った。ばあちゃんにはそのことをうまく伝えられなかった。でも写真を眺めながら、ばあちゃんも過去を慈しんでいるように見えた。

「来週の土曜日、東京に戻ろうと思う」
 そうばあちゃんに伝える。心の中にある迷いや不安や希望や、まだ整理できていない思いは、そのほかのたくさんの物事と同じように、うまく言葉にできない。
 僕がここを離れたあとは、これまで通り一人の生活に戻る。そして、これから週に一度、ホームヘルパーの方に来てもらうこと、デイサービスの施設にも週に一度通うことが決まった。ばあちゃんは、これからちゃんとやっていけるだろうかと心配そうにしていたが、お世話になったね、来てくれてほんとうにありがとう、と何度も何度も繰り返した。「東京でもうまくいくように祈ってるから」
 ばあちゃん家を発つ日、丘をのぼり、景色を一望できる場所まで歩いて行った。北の方角には霧島連山、南には高隈山が見える。頭の中に地図を広げ、いま立っている地点を確認する。ここからどこに行けるだろうかと考えた。これからどこに向かおうか。
「ばあちゃん、楽しかったよ。ありがとう。また来るから」
「うん、またね」
 玄関先で、すっきりとした笑顔で手を振るばあちゃんに、僕も手を振り返した。
 
 東京に戻って数日後、ばあちゃんと電話で話した。声は明るかった。デイサービスの施設には友だちといっしょに通っているし、短歌会も先生の勧めで、郵便での投稿を続けることにしたそうだ。
 ばあちゃんと電話で話す時はいつもそうだが、電話越しにあの場所の空気を感じ取ることができる。いま身を置く世界と並行して、たしかに存在している空間と、そこに流れている時間があることを思う。そして、いま立っている場所でしっかり生きなさいと背中を押してもらっているような気がする。